イソクラテス × プラトン

二つのピロソピアー



 古代ギリシアの高等教育機関といえば、プラトンの学園「アカデメイア」が有名だが、彼の学校に先んじること数年、同じアテナイに開設されたのがイソクラテスの学校である。
 元は法廷弁論の代筆家だったイソクラテスの学校は、プラトンの「アカデメイア」同様、その教育理念の中心にピロソピアーを据えていた。もちろん二つの学校は、カリキュラムの面でも、教育の方針についても、そして身につけるべきであるとする知のあり方についても、大きな違いがあった。
 両者が等しくピロソピアーを看板に掲げるのなら、ふたつの学校の(そしてイソクラテスとプラトンという二人の)間にある違いは、まさしくこのピロソピアーの内容の違いに存するだろう。彼らほど、ピロソピアーについて多くを述べた者はかつてなかった。彼ら二人こそ、ピロソピアーをはじめて、全的な生と知のあり方に結びつけ、その後現代までつづく西洋精神史の中心的主題としたのである。
 そしてピロソピアーがその語源とおり「知への愛、知への希求」を意味するのであれば、プラトンとイソクラテス、それぞれのピロソピアーの違いは、彼らが希求する、あるいは希求すべきであるとする知の違いに存するはずである。

 プラトンは学園の入門者達に幾何学を学ぶことを要求し、『国家』に描いた理想のカリキュラムでは、30歳にいたるまでの長い時間を数学(算術、平面幾何、天文学、音楽)に費やした後でないと、真に学ぶべき哲学的問答術には進めないとした。数学のトレーニングの中で、鍛えられ培われるだろう力、すなわち「空論にちかいまでに詳細な議論と、現実遊離といわれるくらいの高遠な思索」を行いまたそれに耐える力なしには、プラトンが希求すべきであるとする知は獲得できないと、考えられたからである。
 それは対象に関していえば、その本性を把握せんとする知(エピステーメー)であり、知の担い手に関していえば、雑多であり変化の多い諸現象から一旦距離を置こうとする観照者の知である。ピロソピアーという言葉をこの方向に開いたのは、古伝によれば数学的知の源泉のひとりでもあったピタゴラスである。
 彼は自らを何者かと問われ、有名な祭典の比喩をもって答える。人間には、祭典に集まる人々にみられるように3種類の者がいる。名誉を求めてやってくる競技者/利益をもとめてやってくる商人/それらを観察するためにやってくる者。最後のものこそピタゴラス自身がそうであるところの、ピロソポス(真理の理論的観照者=哲学者)に他ならない。[ピロソポスは、ピロソピアーする者の意味である]
 そして我々が知る哲学(フィロゾフィ)が、そしてそれから派生するだろうさまざまな学問・科学が、概ねこのピタゴラス−プラトンの系譜の延長線上にあることは、容易に見て取れるだろう。

 しかしピタゴラス−プラトンのそれは、ピロソピアーという言葉の用法としては、かなり特殊なものだった。より伝統的用法に近いところで、だがやはり特殊な意味をピロソピアーという言葉に担わせようとしたのが、イソクラテスである。彼のピロソピアーは、ピタゴラスが自らを観照者として規定した用法のそれよりむしろ、政治家であり賢者であったあのソロンや同じくすぐれた政治家であったペリクレスについて述べようとする表現に登場するものに近い。歴史家ヘロドトスやトゥキュディデスの証言によれば、彼らは決して観照者ではなかったが、ピロソペインし(知識を探し求め:ソロン)、またピロソペインする(教養を積む:ペリクレスとアテナイ人)ことを怠らなかった。[ピロソペインはピロソピアーの動詞である]。
 イソクラテスが自身の学校で行われる、言論の錬磨を中心とする〈教養理念〉をピロソピアーと呼んだのは、このような伝統的用法に即してだった。人は、〈教養理念〉としてのピロソピアーによって、つまりピロソペインする(教養を積む)ことによって、運命としての「素質」からの解放を可能にする。あるいは、人が言葉の使用によって他の動物から区別されるように(言葉を使うことによって、動物から人へとなり得たように)、言論の錬磨を中心とするピロソペインする(教養を積む)ことによって「よりよき人間」となり得るのだ、とイソクラテスは考える。ここに教育の存在理由があり、そして、のちに人間的教養・人文的知と呼ばれることになるだろう知のあり方がある。これはローマ世界を席巻し、キケロらを通じて中世世界に、そしてイタリア・ルネサンスの人文主義へとつながり、これに影響を受けたイエズス会の教育システムを通じて、近代においてふたたび学校システムへと強い影響を与えることになる。

 イソクラテスにとってのピロソピアーの意義が、以上のようなものであったとすれば、そのピロソピアーの内容(そして彼が希求すべきとする知の内容)はどのようなものであったのか。イソクラテスは、「教養ある人」とはどのような者であるかと自ら問い、概ね次のような解答を与える。すなわち「教養ある人」とは、よき思慮・賢慮(プロネーシス)を持った者であり、それ故に彼はすべての実際的行動・実践を立派に行うことができるはずである、と。このよき思慮(プロネーシス)こそが、イソクラテスが希求すべきとする知に他ならない。
 イソクラテスの学校で行われる言論の錬磨は、この実践的知である賢慮(プロネーシス)の獲得を目的になされるのであって、単に「立派に語ること」を身につけるために行われるのではない。逆に、「立派に語ること」はその教育の派生的な結果のひとつに過ぎず、「立派に行うこと」ができる、つまり賢慮(プロネーシス)を身につけていることを示すしるしに過ぎない。
 では賢慮(プロネーシス)とはどのようなものであり、それはいかにして習得されるのか。つぎのようなイソクラテスのことばは、我々が問題にしてきたふたつの知のあり方を比較し、自らが求める知がいかなるものかを示している。
「有益な事柄についてあり得る仕方でドクサを持つ(=健全な判断をする)ことは、益もない事柄についてエピステーメーを持つ(厳密な仕方で知識を持つ)ことよりもはるかに有力である」(「ヘレネ頌」)
「それを手に入れれば何を為すべきか、あるいは何を言うべきかを〔確実に〕知る事のできるエピステーメー(厳密な知識)を得ることは人間の本性のうちにはないことであり、私は、ドクサ(健全な判断)によって多くの場合最善なものに到達することのできる人を知者と考え、その種のものを研究し、そこから最もすばやくその種の思慮(プロネーシス)を得る人をピロソポスとみるのである」(「アンティドシス」)
 ここでイソクラテスは、大抵の場合に妥当する知と、あらゆる場合に妥当する知(不変妥当な知・必然的真理)を比較している。プラトンらが求める知が後者、すなわちエピステーメー(厳密な知識)であることは言を待たない。エピステーメー(厳密な知識)を手に入れることは、必ずしも不可能ではない。たとえばプラトンが初学者に学ばせようとする幾何学がそうである。しかし、すべてに渡って、幾何学ほどに厳密な知を手に入れることが可能だろうか。とくに言説や行動といった実践的な場面について、「それを手に入れれば何を為すべきか、あるいは何を言うべきかを〔確実に〕知る事のできる」ような知を手に入れることが可能だろうか。
 さらに加えて次のことを指摘しなければならない。あらゆる場合に普遍妥当な真理は、本来的にTPOを、「時と場合」を欠いている。「好機(カイロス)は知識(エピステーメー)の目に止まらない」。しかし「時と場合」に応じて処することこそ、「立派に語ること」「立派に行うこと」、実践的知性に求められるべきことではないか。
 イソクラテスは、エピステーメー(厳密な知識)の「健全な断念」の上に、すばやい実践的知性の座を据える。観照者としてのピロソポスがエピステーメー(厳密な知識)へ向かおうとするのに対し、実践知性を担うピロソポスは、たいていの場合に妥当するドクサ(健全な判断)の働きを養おうとする者として現れるだろう。物事の好機(カイロス)によく注意を払い、多くの場合にそれらから結果するものを見定めようと努めるものは、もっともよく好機(カイロス)を把握する。この、よく好機(カイロス)を把握する力が、言論の錬磨のうちに育てられるであろうドクサ(健全な判断)であり、そして人間生活や人間の活動についての知である思慮(プロネーシス)は、このドクサの作用に他ならない。


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