部分褒め

別名
用途してほしい行動を増やす

自分のほめるスキルをのばす

相手の長所に気づきやすくなる

やる気の増大

用例
使用法ある行動に対して、部分点をみつけて褒めてやる。

相手の行動については、それが完全でなくても、どこか良いところをみつけて、そこを褒める。

大抵の場合(そして、習慣づけて部分褒めをやっている人は、ずっとうまく)、相手の行動のよい部分を見つけることができる。

コツは、ディティールを無視して、おもいっきりシンプルに考えること。「帰りが遅かった」と考えるよりは、ただ「帰ってきた」、「ドライブに行ったが相手の車は国産のボロ車だった」と考えるよりは「ドライブに誘われていった」、「料理の味が薄い」は「手料理をつくってくれた」など。

あるいは、行為の結果は悪かったが、行為そのものや行為の意図は「よい」ことは多い、それをほめること。

解説世の中には、これと正反対なことをやっている人が多い。

たとえば、夜遅く帰ってきた子ども(実は配偶者でもおなじことである)、

「おそい!今何時だと思ってるんだ!?」

とやると、「家に帰ってきた」こと自体に罰を与えることになっている。

人間でも、どんな動物でも、行動に対して罰を与えられれば、その行動は減る。

この場合だと、家に帰ってきたくなくなる。

しかし「家に帰ってくる」こと自体は、悪い行動ではない。

気に入らないのは、「帰ってきた時間」や「帰ってきた状況」などなどであって、「家に帰ってくる」こと自体は、悪い行動、やめてほしい(減らしたい)行動ではない。

この場合の正解は、「家に帰ってきた」こと自体には、「ごほうび」をあげること、である。時と場合によるが、「おかえりなさい(あーよかった。あなたに何もなくて)」と安堵の表情で迎える、あるいは「おかえりなさい」(帰ってきただけでうれしい)という表情(あるいは全身全霊での喜び)で出迎えるなど。

ただ、「家に帰ってきた」だけでこれだけ喜んでもらえるという「ごほうび」を得た行動は、強化される(つまりその行動は増える)。

減点法、あるいは完全主義で他人に対すると、相手の行動が(あとこことここを直してもらえば)言うことなし!、という場合であっても、「わたし好みの味付けじゃない」「門限も守ってない」「酒を飲んで帰ってきた、外で自分だけ楽しくやってるんだ」と、部分点すらあげない態度になってしまう。これでは、修正する行動自体が減っていく、そしてますますあなたは相手に不満をぶつけ罰を与え続け、またますます望ましい行動が減る、という悪循環に陥っていく。

悪循環を切断し、育てたい「行動の芽」を摘まないためには、部分点をあげることである。今の場合なら「帰ってきてくれて(それだけで)うれしい」と言葉と表情と全身で喜びを表現することである。

修正すべきこと、注意すべきことは、あとでステージをかえてやればいい(その方が、あなたもずっと冷静に、相手もずっと素直に、話をすることができるだろう)。

なにより「部分点主義」は、周りの人の「よいところ探し」につながるので、相手と(間接的に自分にも)ポジティブな感情を育てることになりやすい。「どこかほめるところはないか」と気をつけていると、意外に相手の長所が見えてくる。ここで減点法、完全主義で相手をみていると「この子には、ほめるところなんてない」という凝り固まった確信だけが育つ。そしてそんな気持ちは相手に伝わり、劣等感を植え付ける。「自分は存在しちゃいけない」感を育ててしまう。

また、褒められて身に付いた行動は、厳しく罰せられて身に付いた行動よりも、自発的に行われ、本人にも喜びが大きい。そのためますますたくさん行われて、磨かれていきやすい。

参考文献『人生思い通りにコトを運ぶ法』(久美沙織,¥1,300、三笠書房;ISBN: 4837920217)


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