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洗脳する

brainwash
洗脳とは、他者を、本人の意思を無視して、ある方向へ導く一連の行為をいう。
これまで見てきた「承諾を獲得する」「その気にさせる」「感覚を変える」「人格を改造する
などの技法を組み合わせれば、洗脳への勧誘から洗脳自体を構成する「解凍—再冷凍」プロセス
等、洗脳に必要なすべてを行うことができるだろう。
 



「洗脳」の真実(truth)と嘘(hype)

 「洗脳brainwash」の語は、朝鮮戦争で捕虜となったアメリカ兵に対して行われた中国共産党による「思想改造」に由来すると言われる。具体的には,エドワード・ハンター(英国のジャーナリスト)が書いた「RED CHINA赤い中国」(1951)の中で,このプロセスを特徴付けるために,実際に中国で使われていた「洗脳」をそのまま英訳した言葉brainwashを用いたのが始まりであると、その手の本には説明されている。

 もっともハンターの「洗脳」についての描写あるいはその背景にある信念は,いささか度を過ぎたもののように今では考えられている。
 ハンターは洗脳を「不可逆的なもの」、つまり一度洗脳された者は二度と元には戻らないものとして描いた。そしてひとたび洗脳の標的にされたものは、どのようにあがいても洗脳を避けることができないのだとも主張した。これらは今もフィクションの中で繰り返し語られる、ポピュラーな「洗脳の原イメージ」である。
 ハンターの誇張の背景には、ひとつには、ロラン・バルトが指摘した「フランス人は空飛ぶ円盤はソ連から来ているのではと疑っていた」にも似た共産主義恐怖(アカ・フォビア)、あるいはカート・ヴォネガットが繰り返し使うネタ「銅鑼を鳴らすだけでガンを治してしまう中国人」にも似た中国恐怖(シノワフォビア)が働いているのかもしれない。しかしいずれにせよ、確かに「洗脳brainwash」のイメージは人の心を引き付けるものを持っている。もっと吟味された正確な定義を持つ科学的用語では、こうまで普及しなかっただろう(催眠の、多くの研究者の努力にもかかわらず拭いされない怪し気なイメージとその人気ポピュラリティについても、同様のことが言えるかもしれない)。

 最近でも一部の論者(バカ)は、「洗脳」をより暴力的な手段を用いるもの、一方では「マインドコントロール」をより洗練された方法を用いるもの(だからこそ、非難をすり抜ける可能性が高く、より厄介で危険だ、とそれを評価する)、と二つを明確に使い分けようと提唱している。また別の論者は(バカ)は、両者の違いは程度・強度の違いであり、一定以上の威力をもつ行為を「洗脳」と呼ぶのでなく、「マインドコントロール」と混同して扱うことは、過小評価(みくびり)にも等しいと警告している(彼によれば「洗脳」はより危険であり、しかも社会にその危険性を感じさせる言葉ということになるらしい)。
 もっともこれらの心配に付き合うなら、まず中国で行われた「洗脳」は、昨今のカルト宗教や改造セミナーなどより、ずっと「非暴力化」された、より洗練された方法であることがわかっている。彼らは肉体的苦痛を用いなかった(朝鮮戦争のさらに前線では、より直接的な拷問が持ちいられたが)。「洗脳」者たちは、捕虜たちに「自分の意志に反すること」をしない自由すら与えた。社会心理学はのちになって、認知的不協和理論などによって、暴力や自由意志を奪うことよりも何故このやり方が有効であるか、を説明するようになった。

 さて、ハンターの後、中国の「洗脳」は、実験科学者たちによって、もっと実証的に研究されるようになった。
 アメリカでは、朝鮮戦争後に、少なくとも4つの「洗脳」(朝鮮戦争時に中国共産軍の捕虜となったアメリカ兵が受けたそれ)についての研究が互いに独立した形で行われた。うち2つは公表されなかった。CIAの研究の方は、その存在すら秘密にされていた。しかしあとの2つは公表された。ロバート・リフトンのThought Reform and the Psychology of Totalism (1961)と、エドガー・シャインの Coercive Persuasion: A Social-Psychological Analsis of the "Brainwashing" of American Civilian Prisoners of the Chinese Communists (1961)である。
 リフトンは、中国共産党が行った一連のプロセスを指す言葉として、ほとんど全能の域に達している「洗脳」のイメージがもたらす混乱を避けるために、「思想改造Thought Reform 」という概念を用いた。
 リフトンは人々が持つ信念を変えることは可能だと考えた。しかし彼が提起する「思想改造」はもう少し控えめで限定されたものだった。タイトルにもあるように、全体主義の環境においてのみ、「思想改造」は可能である、と彼は考えた。なんとなれば、「思想改造」は、その人が置かれる環境のコントロール(統制)を必要とするからだ、と。
 シャインもまた、「洗脳」概念を放棄した。シャインは、「洗脳」が意味している「系統的に心を破壊する奥義」というイメージと、捕虜となったアメリカ兵から聞き取り調査した経験とが、あまりにかけ離れていることを指摘した。シャインは、アメリカ兵たちの受けた経験を、「逃れることができない状況で、延々と強い説得を受けた」という風に定式化し直した。リフトンのいう「環境のコントロール」も、この要素を含んでいる。
 説得は我々にも親しい概念である。我々も日常的に誰かを説得し、また誰かから説得されている。捕虜となったアメリカ兵に違ったのは、説得自体を避けることができないという「異常な状況」だった、とシャインは言う。

 いずれにせよ、「洗脳」はもともと、催眠その他の変性意識の利用を必要としていない(多くの洗脳の解説は、人々の甘い「洗脳」イメージに応えようとし過ぎて、本当に恐ろしいことを伝えていない)。
 中国共産党が、アメリカ兵を「共産主義」に改宗させ、さらに仲間の脱獄をもらさず密告するまでの「協力者」に仕立て上げたのは、我々の想像を越えて「穏やかな方法」、たとえば、ただペンをとらせエッセイを書かせる、といったものだった。「中国びいき」のエッセイを書いたものには賞品(しかし煙草程度のもの)が出されたが、ただアメリカへの望郷を記した者にも賞品が出された。実は、この「穏やかさ」こそが、ポイントだった。大きな利益が得られたり、厳しい罰がさけられたりするためならば、自分の心に対して偽りあることを書いても、アメリカ兵は動じなかったであろう。そうした利益や罰がないからこそ、エッセイを書くことが強力なコミットメントとして働き、認知的不協和の解消を通じてアメリカ兵の思考を大きく変えていったのである。


ビリーフをかえる

 ビリーフは、人間の認知や推論の過程に不可欠のものである。
 なんとなれば、すべてを一から考え直すことは、どんな場合にも、実際的に不可能(時間がかかりすぎる)からだ。

 ビリーフは、信念や偏見、信仰や知識までも含む、より広い概念である。
 ビリーフは、脳の情報処理に用いられる「対象同士や対象と感情などの結びつき」のことをいう。
 人は「信じている」という自覚無しに多くのビリーフを蓄え、無意識に(推論の前提にしたり、解答にしたりして)使っている。

 あらかじめ用意されたビリーフ(結びつき)があることによって、脳の情報処理の時間とコストは大幅に軽減される。
 とくに「答えがないこと」「答えが出ないこと」に関してのビリーフはとても重要である(ときにそれらは迷信と呼ばれたり信仰と呼ばれたりするのだが)。
 これがないと、「答えがないこと」「答えが出ないこと」に決着が付かないまま、延々と脳の情報処理能力を費やしてしまって、他のことに必要なリソースまでも消耗してしまう。
 したがって、不合理や神秘についてのビリーフは、日常生活に必要な情報処理のリソースを確保するために不可欠である。
 信仰や迷信は、日常やビジネスに必要な脳の情報処理リソースを確保するための「戦略」かもしれない。

 もう一つ、「答えがない」ために、延々と脳の情報処理能力を費やしかねない問題に、人間関係がある。
 具体的に言うと、とてもつまらない(トリヴィアルな)問題が、とても難しい。たとえば、人間はだいたい左右対称にできているので、向こうから歩いてきた人がどちらに避けるのかが、わからない。相手が人間であるために(そしてこちらも人間であるために)、相手の「意図」を深読みできるがゆえに対人的な行動は、どのような結果を生むか、計算しにくい。相手はこちらのウラをかこうとするかもしれないし、ウラのウラを、あるいはウラのウラのウラを……と、疑心暗鬼に陥ると、深読みは無限の深みにはまり込む。
 こうしたことを避けるために、(そして人間の有限な認知能力の範囲で「社会」を成り立たせるために)、ある集団の間で共有される習慣や慣習は、人間が出会った場面ごとに「ふさわしい行動パターン」についての決まり事を含んでいる。そして「ふさわしい行動パターン」から外れた人間に対して、どう対応するか(無視するか、攻撃するか、蔑むか、などなど)についても決まり事を含んでいる。これらもビリーフとして各人の中に格納される。

 ビリーフはこうして、維持され、再利用される。
 したがって、ビリーフを変化させることができれば、持続的な変化を相手の心理や行動に引き起こすことができる。

 脳は、情報処理の結果、「うまくいった結びつき」をビリーフとして格納すると思われる。
 「うまくいった」基準にはいくつか考えられるが、おおまかに外的な適応と内的な適応の2つに分けると、
  1. 情報処理が全体としてうまくいくこと。つまり課題に対して導きだされた対応に、ちゃんと「よい結果」がかえってくること(外的な適応)。
  2. その人がそれまでにためてきた他のブリーフたちと整合的であること(内的な適応)。
 「課題」といってもいろいろある。
 壁にぶつかったボールがどの方向へ飛んでいくかを予測する課題から(これには運動法則についてのビリーフが有用だろう)、分からず屋のボスが機嫌が悪い時どう対処するとどやされなくてすむかといった課題(この社会的課題には、ボスの性格についてのビリーフから上司にやっていいことわるいことの社会的通念というビリーフまで、ひと揃え必要になってくる)、さまざまな課題がある。さらに、その課題を解決する方法がわかったとしても、そうすることが嫌な場合だってある(自分の好みもまた、ある対象や行動と好悪の感情を結び付けているビリーフである)。
 数式を与えられて、正しい答えを出す度に殴られると、正しい計算規則についてのブリーフか、「問題にはいつも正しく答えるべきだ」というブリーフか、そのどちらかを変更する圧力が生じるだろう。この場合は、おそらく後者のビリーフを変えた方が、前者を変えるよりも差し障りが少ない(他のブリーフをも変えなきゃならなくなる度合いが低い)ので、そちらが選ばれるだろう。


 はたまた、好きな人が好きなモノ(好物)は、もともと自分が嫌いであっても、好きになる場合がある。



洗脳
洗脳の「隔離」と「現実管理」
マインドコントロール
治療
エリクソンの「雪だるま効果」
ビリーフはシステム
ビリーフは単独ではない
ひとつのビリーフは、他のビリーフと関係している
他のビリーフと整合的なビリーフが生き残りやすい
ビリーフ形成
脳は、推論の結果、「うまくいった結びつき」をビリーフとして格納する
「うまくいった」基準には4つ(2×2)が考えられる。
現実と整合的か?
価値と整合的か?
個人的次元
社会的次元
ビリーフシステム
個人的現実性(知性としてのビリーフ/認知過程、帰属過程)
+社会的現実性(ステレオタイプとしてのビリーフ/他人の意見・合意、役割、集団同調)
+対象価値性?(個人的嗜好;対象への肯定的・否定的態度の連合「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」、偏見としてのビリーフ)
+連結価値性?(愛着;信仰としてのビリーフ、「わかっているけどやめられない」/条件付け強化の繰り返し)

したがって、推論において「うまくいった」と思わせることで、新たなビリーフを形成させることができる
1.個人的現実性・・・個人に役立つ情報/納得いく論理感覚の提供
2.社会的現実性・・・数的優位(ターゲットの周りに)/手段としての社会的孤立、権威性の借用
3.対象価値性・・・教祖・伝道者への好意的態度を形成させる/集合的で情緒的な状況における深い感動体験
4.連結価値性・・・教義を実践させ、賞罰で強化
ビリーフ解体
既存のビリーフが「うまくいかない」事態がくり返されれば、ビリーフは解体される


ビリーフ強化
行動による強化
(1)条件付け(賞罰)の効果
(2)自己知覚の効果(ロールプレイングや書くこと=コミットメントによる変化とその自覚)
(3)認知的不協和の効果(入信時の犠牲について、選択が正しかったと自己説得)
情報処理による強化
(1)ゲイン・ロス効果=採用したビリーフに応じて、賞罰で強化(たとえば、当初の反感を変えることを「教義を理解した」とプラスに評価するなど) 
(2)システム化の効果=単一のビリーフではなく、生活や社会や世界のすべての疑問や課題に対応するようビリーフをシステム化する。システム化したビリーフはより変化しにくい。(たとえば信仰の浅さによって事態を収拾) 
(3)プライミング効果(ある意思決定で用いられたビリーフシステムが課題を解決できれば、それは効果あるものとして強化される)ー新しい用語法や教義を注入され、繰り返すことで活性化された状態にされ、それらによって現実や個人的課題を処理するようにされる→教義がプライミングされる可能性を高め、個人的体験・推論と教義が整合しているという認知を与え、ビリーフは強化される/キーワードで条件反応的に行動、思考するようになる 
(4)脅迫的メッセージの効果=教義に対する疑念や混乱を、恐怖心で思考停止させる(疑うものは地獄へ、ハルマゲドンはすぐそこ、など)

集団過程による強化
(1)情報の選択的接触の効果
(2)社会的アイデンティティの効果
生理的ストレスによる強化
条件付けの効果やプライミング効果を補強する/オートマティックな反応、観察力・思考力の低下、



洗脳のプロセス

 洗脳とは、他者を、本人の意思を無視して、ある方向へ導く一連の行為をいう。
 これまで見てきた「承諾を獲得する」「その気にさせる」「感覚を変える」「人格を改造する」の諸技法を組み合わせれば、洗脳への勧誘から洗脳自体を構成する「解凍—再冷凍」プロセス等、洗脳に必要なすべてを行うことができる。そしてそれぞれのページで見てきたように、それら技法は広告やビジネス、さまざまな社会関係やより身近な人間関係におけるまで、日常的に(ときにそれと意識されることなく)用いられているものである。



 洗脳のプロセスは、幾通りにも分類できるが、大きく分けて、(1)洗脳に先立つ「勧誘」プロセスと、(2)洗脳そのものを構成する「解凍—再冷凍」プロセスに分けられる。

 「勧誘」プロセス自体は、セールスマンなどが用いる技法とさほどかわりはない。あるものは既存の人間関係を通じて、あるものは権威やちょっとした利益を通じて「誘き寄せ」られ、様々な《セールス・トーク》によって、しばしば閉鎖的で途中退場の許されない「洗脳のステージ」に入れられる。《セールス・トーク》といっても馬鹿にはできない。いろんな(そして洗練された)心理的方略が用いられていることはもちろんである(これについては『影響力の武器』が参考になるだろう)。代表的なものをあげるなら、1.返報性(何か受け取ると「お返し」しなければというプレッシャーが生じる) 2.コミットメントと一貫性(認知的不協和、行動や認知を首尾一貫したものにしたいという傾向) 3.社会的証明(他の人=しばしばサクラが行くなら正しいのだろう) 4.好意(自分に行為を示す人には反対しにくい) 5.権威 6.希少性・・・。

 「解凍—再冷凍」プロセスは、その人の「人格」(これまでの認知/感情/行動のパターン)を一旦「リセット」して、新しい認知/感情/行動のパターンを植え込み、再び「人格」として定着させるプロセスである。
 「解凍」のステップは、ゲシュタルト療法に由来するグループワークが用いられることが多い。たとえば、参加者は円を描いて座り、ひとりづつがその円の中央に入り、1.自分の経験などについて告白が求められる。2.周囲にいる(取り囲んでいる)他の参加者から、それぞれに肯定/賞賛の嵐が与えられる(ここで、中央にいる参加者はしばしば激しい感情の発露(カタルシス)を経験する。泣き出すものも多い)。3.同様に、周囲にいる(取り囲んでいる)他の参加者から、それぞれに自己否定や変身の要求が浴びせかけられる。これもまた感情の発露を伴い、変化の同意には再び、賞賛が与えられる。 これを、それぞれの参加者が中央に入り、繰り返す(2.と3.は逆の順序で行われることも多い)。参加者各自は、他の参加者が激しい感情的体験とその後の大きな変容を見て、驚き、自らもそうした体験のための内的な準備を行う。この段階では2〜3回の通いでのセミナー参加といった形態で行われることが多い。
 「解凍」後には、「植え付け」のステップがある。新しい考えや行動の植え付けである。同じリズムによる繰り返しなど、催眠にも通じる技法が用いられるが目新しい点はない。むしろ、当然生じる「揺り戻し」について、「新しい真理が身に付いていない(古い考えが捨てられていない)。まだまだ努力が足りない」などのダメ出しが洗脳での特徴であろう。この段階では、2〜3泊の隔離された場所での合宿/泊まり込みといった形態で行われることが多い。
 「再冷凍」は、新しい人格の定着プロセスである。この段階は、実世界でのテストといった形態を踏む(たとえば団体のビラ配りや勧誘など)。一般社会に再接触させて「もとに戻らなければ合格」といったフレームで行われる。当然、これは社会からの厳しい返り打ちにあるが、認知的不協和の原理で、これまで費やした「努力」を無にしないためにも、自らの信念と社会の反発の間に「一貫性」を打ち立てるためにも、「社会からの拒否」に対してさらに強固な「理論武装」や「学習」を自身に課す結果となる。こうして新しい人格(認知/感情/行動のパターン)の定着が達成される。

 その後、新しい人格(認知/感情/行動のパターン)について、団体(教団)は、次のようなメンテナンス(維持)を行う。1.行動操作(ピラミッド型組織による命令、信者間の交流の制限・定式化、厳しい任務割り当てによる行動レパートリーの制限)、2.思想操作(二分法的思考、とくに選民思想による一般社会との齟齬・矛盾の理由付け)、3.感情操作(一般社会への悪=罪の割り当て。一般社会の「罪悪」化。一般社会への「誘惑」される自分を恐怖する)、4.情報操作(団体からの情報のみに依存するよう、情報遮断等)。

 こうして見ていくと、洗脳は、一般社会への帰還と適応を「目標」とする心理療法の諸技法を「さかさまに」適用することで、多くのプロセスが成り立っていることが分かる。
















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