あなたを有罪にする仕組み



 日本の刑事裁判における無罪率は一説には0.02%です。起訴されると5000人に1人の割合でしか無罪になりません。世界一優秀な日本の警察、検察です。

 太平洋戦争が拡大した昭和17年、戦時刑事特別法という法律ができて、どんどんと素早く被告人を有罪にできるようになりました。
 その法律では、警察官や検察官がつくった調書までが、裁判の証拠とすることができたそうです。
 「お前は犯人だ、お前がやったんだ。(おれたち検察がつくった)調書にそう書いてある」なんてことが平気でできた訳です。

 現在の刑事訴訟法には、その第320条に「公判期日における供述に代えて書面を証拠とし、又は公判期日外における他のものの供述を内容とする供述を証拠とすることはできない」とはっきり書いてあります。
 前もって警察官や検察官がつくった調書(書面)は証拠とならないから、聞きたいことがあるなら裁判中におやりなさい、ということです。

 ところが、この第320条には例外があります。
 法廷での証言が、かつて検察官が取り調べたときの供述とは、「相反するか若しくは実質的に異なった」ものであるときには、検察官が取り調べたときの供述の調書(書面にしたもの)を、証拠として裁判所に提出できることになっているのです。

 すこしややこしいですが、これはすごい抜け穴です。

 この「抜け穴」の使い道はこうです。まず先に取り調べしておいて調書をつくっておきます(調書にするくらいだから、それはきっと有罪につながる証言でしょう)。それから、裁判ではその人に調書(取り調べ)とはちがった証言をしてもらうのです。そうすれば、検察側は待ってましたとばかりに、「裁判長、いまの発言は、我々の得た供述とは違います」といって、胸を張って自分たちの調書を裁判の証拠として持ち出すことができるのです。

 たとえば一度、警察や検察の取り調べで「私がやりました(あの人がやったのを見ました)と供述すれば、裁判で「私はやってません(私はほんとは見てません)」と言っても、それはかえって検察側の思うツボな訳です。
 
 これは第320条の原則からすると、つまり戦時中みたいなひどいことはやめようという現在の刑事訴訟法の原則からすると、あくまで例外ですから、よっぽど検察側の調書の信用性が高いというのでない限り、裁判官はそれを証拠として採用しなくてもいいことになっています。
 今のところ、日本の裁判では、原則の上では「例外」が、ごく普通のことになっています。ほとんどすべての裁判で検察側調書は提出され、ほとんどすべての裁判で証拠として採用されます。

 ある調査によると、捕まった人の60%が調査中に自供し、そのうちの80%の人が後で自供を撤回してます。
 自供の撤回は、90%が裁判公判中に行われますが、裁判が始まってから自供を覆しても、それを裁判官が取り上げてくれるとはかぎらず、かえって自分に不利な検察側調書を証拠として採用させる機会を与えてしまうことになってしまいます。

 そして日本の刑事裁判における無罪率は一説には0.02%です。起訴されると5000人に1人の割合でしか無罪になりません。さすが優秀な日本の警察、検察です。

 ちなみに、日本でも大正12年から昭和18年まで続いた(これも戦時中だからと停止され、現在も法律的には有効なのに未だに停止中です)陪審制度の下では、無罪率は4割を越えていました。

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