計算尺小説

 これは計算親方がまだ若いときのお話です。

 ケーニヒスベルクの町に、夜ごと橋の上に立つ怪人は、影のような格好をして、そこで数学者や計算士が通るのを待ち構えているのでした。
「命が惜しければ、その計算尺を置いていけ」
水が凍る時のような声で、怪人は立ちふさがります。そして計算者たちがそれを拒むなら(彼らは皆新進気鋭の数学者です、ひるむことなどあり得ません)怪人は、彼らに飛びきりの問いを掛けるのです。
 解ければそれでよし、もし解けなければ……、いいえ、解けても怪人の計算より遅ければ、怪人はその者の命を、そして計算尺を奪います。怪人の背負った竹編み篭には、大小円方長短の様々な計算尺が何十本と収まっているのです。
 怪人はまた自らの計算尺で武装していました。利き腕はもちろん、その反対の腕にも、胸にも、背中にも、そして唇にも。
 彼の二の腕には、対数の目盛が刻んでありました。その入れ墨は両腕に彫ってあり、怪人は左右の腕をすり合わせることで、大抵の計算ならあっという間に片付けてしまううのです。両方の太股にも、それぞれ別の目盛があって、それと腕を組み合せることで、√(ルート)や円の面積を知ります。二の腕は兎も角、内腿のやわらかい部分に入れ墨するのは並大抵のことではありません。しかも発育したり太ったりしていまうと、目盛が伸びてしまって、計算に誤差が生じるのです。
 とにかく彼の体は全身計算尺であって、だからどんな寒い日にも、勝負のときには常にはだかに近い格好をしていなければなりませんでした。
 怪人はこの世の者ではないと思われました。何故なら昼のケーニヒスベルクには、怪人が待つ8番目の橋は存在しないからです。
 町の人達は、あの地上最大の計算者、うぶ声とともに計算を始め、息を終えるまで計算を続けたあの男の仕業ではないかと噂し合いました。彼はこの町に生まれた瞬間からずっと計算していました。だからこの町で死んだ後も計算を続けているのだと町の人は考えたのです。

 当時、計算親方は、古算術を取捨・体系化し近代算術を完成させた黄道館に、その名も高い「黄道館四天王」の一人でした。
 計算親方には、怪人があの計算者でないことはすぐに分かりました。何故なら、
1.幽霊なら入れ墨する訳がないし、
もっと有力な理由は、
2.あの偉大な計算者なら、全身計算尺なんぞにならなくても、もっと速く計算しおおせたからです。

 (後編予告 ついに計算親方と怪人計算尺の対決!)

 

 とうとうその夜がやってきました。
 計算親方は、誰にもないしょで、あの橋へ、計算尺の怪人の待つ場所へ出掛けようとしていました。
「おまちください、師範代」
計算親方がいつも目にかけている若者です。今日の稽古の時から、何かただならぬ様子を感じた彼は、門のところでずっと親方を待っていたのです。
「丸腰では危険です。どうか、これを持っていってください」
それは若者の祖父であり、高名な計算尺職人の手になる、この世にひとつしかない逸品でした。離散的な通常原子からではなく、「アレフ・ワン」連続物質から作られ、コッホ曲線で目盛りをつけた滑尺、さらに任意レベルでの粗視化が可能な「ハウスドルフ・スケーリング・カーソル」を備えた、これこそ有限世界の中で唯一無限の精度をもつ計算機械、「マンデルブロートの計算尺」でした。
「ありがとう。お気持ちだけいただきます」
「そんな、ムチャです。相手は、何人もの数学者や計算者を葬った怪人なのですよ」
「私にはこれがあります」
円形のものを、計算親方は示してみせました。
「そ、それは……?」
「それに私には、怪人の正体に目星がついていますから」
「それではどうか、御武運を祈らせてください」
「いいえ、見送ってもらうだけで十分です」

 ケーニヒスベルクには、7つの橋があり、そのすべてをたった一度づつ通り、なおかつすべての橋を渡って回ることは不可能だといわれていました。これは「すべての橋を渡る周遊道(traversal orbit)が存在するためには、すべての頂点が偶数個の辺を持つことが必要十分条件である」という定理から導き出されます。そしてこの町に住み、この定理に証明を与えたのが、あの偉大な計算者でした。親方は4つの島をつなぐそれぞれの橋を何度も巡り、敵が現れるのを心静かに待ちました。

 突然、水が凍り付くような声がしました。
「まちかねたぞ、今日のおまえで、百本目の尺じゃ」
橋の中央で振り返った親方は、たったひとつ橋のたもとにあるガス灯の下で、影をつくる男を見据えます。
「我が問いを解くがよい。解ければよし、解けなくば・・」
計算親方は強い声で怪人の口上を打ち切りました。
「笑止! おまえの正体は分かっているぞ。そのこけおどしの入れ墨、実は我が師に破れた算盤使い・・・」
 影が静かに揺れました。
「・・・ふふふ。そうかあのときのこわっぱか。そうよ、わしはあの日の屈辱をわすれんがため、あえて身に憎き尺の絵を刻み、・・・・舞い戻ってきたのよ」
 影が手に乗せた粉のようなものをふっと吹きます。親方は後ろに飛び退さります。しかし怪人はその隙にガス灯をねらってつぶてを投げ、たちまちのうち辺りを暗闇に包みました。
「うっ」
どちらのものとも思われる声が漏れました。
 闇の中に、二人の計算者は対峙します。
「ふははは、勝負あったな。この漆黒、視力を奪われては、せっかくの計算尺も目盛りが読めぬだろ」
「外道が……。だがきさまこそ、得物はすでに手にないはず。勝負は五分」
「・・・」
なんと親方も、怪人がつぶてを投げるその刹那、ふところの計算尺をなげ、相手の手から算盤を打ち落としていたのです。
「・・・あまいの、こわっぱ。我ら算盤使いは、みなアタマの中に算盤を置いておるのよ。暗闇でおぬしの勝ち目はないわ」
「……」
 親方はたもとから、白い円盤を出しました。闇のなかにも、それは白く浮かび上がり……、そして怪人は、いいえ算盤使いは驚きの声を上げたのです。
「そ、それは、もしや・・・」
「勝負だ、算盤使い」
「ホワイト・スケール(白い計算尺)? きさま、それを使えるというのか!?」
 親方は、いつも円形計算尺を使うときにそうするように、そっと手をホワイト・スケールにそえました。その名の通り、「白い計算尺」には目盛りは刻んでありません。計算に用いる目盛りは、すべて使用者のアタマの中にあるのです。
 デジタル計算機である算盤は、おぼろげにでも思い浮かべることができれば、珠(たま)を置く置かないだけイメージできれば、アタマの中にあるものとして用いることができます。しかしアナログ計算機である計算尺は、どれだけ正確に微細に目盛りをイメージできるかによって、精度が俄然違ってきます。しかもその目盛りは対数で刻んであるため、均一の幅を持っていないのです。それを歪みなく正確に思い浮かべることが、どれほど困難であることか。

「くっ・・では、これが解けるか!?」

しかし、そのイメージさえ精確であるならば、いくらでも計算の精度を上げることができるのです。そう、いくらでも。

「・・・太郎君は2000円持って魚屋へ行きました。5切れで200円引きのアジと、ちょっと高いやつ4切れを買って丸アジ2匹おまけしてもらうのと、どちらが得でしょう?」
「ちょっと高いやつ4切れ(+丸アジ2匹おまけ)」
「ひでぶ!」

大きな男が石畳の上に倒れ、ばらばらとたくさんの計算尺が親方の足下に降り注ぎました。

「だが、これで終わらん。・・・10年たとうが、いや100年たとうが・・・・、すべての計算者と数学を呪う怨嗟の声を聞くがいい!!」

 8番目の橋から身を投げる、重い水音が聞こえ、すべては終わりました。

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 ラッセルのパラドクスの発見以降、20世紀初頭から数学者を脅かしていた、いわゆる「数学の危機」に対処するため、1930年、「数学の基礎をめぐる国際会議」がケーニヒスベルクの町で開かれた。この会議で、「危機」に対する対処法をとして、カルナップは論理主義を、ハイティングは直観主義を、フォン・ノイマンは形式主義を、そして会議の呼びかけ人であるワイスマンは、その3つの立場いずれともちがうウィトゲンシュタインの考えを、それぞれ代弁・主張するはずであった。しかしそれぞれの立場について、ついに会議は決着を与えることができず、会議中ウィーンからもたらされた、クルト・ゲーデルという数学者が「算術の不完全性」という驚くべき結論に達したという知らせに、会議は騒然とした。それは、少なくとも論理主義と形式主義の立場に立つ者にとっては、致命的であったからだ。会議は混乱のうちに幕を閉じ、やがて這這の体で逃げ帰った数学者たちは、新たな戦いにその身を投じることになる・・・。
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