シカブタのこと

 チャンバラが好きで、見るのもするのも大好きだった。最初は普通に新聞紙丸めたやつなんかでポカポカ殴り合ってたが、ある時従兄の古くなった竹刀を振り回して、結局地面をおもいきり殴り付けてしまい、それをバラバラに壊してしまった。
 ところが従兄は怒りもせずに、バラバラになった竹を拾い集めて、それをコンロの火であぶって曲げて、そこに太めの凧糸を張り、そうやって弓を作ってくれた。矢の方は、これまた適当な棒切れが何本かあって、尻に部分を糸のこで浅い切り目を入れて、そこに弓のつるがかかるようにした。
 さっそくそいつを持ち帰り、近所の遊び仲間に見せたところ、ほどなく大流行してしまった。チャンバラ仲間はみんな、それぞれ自前の弓矢を揃えて持つことになった。弓矢を作れば射たくなる。誰が考え付いたのか、「シカブタ」という遊びができた。一人を鬼にして、もといエモノ(これを「シカブタ」と呼ぶ)にして、これを皆で追いかけるのである。
 追う方は「騎馬隊」である。弓を下げ、自転車に乗る。逃げるものは自前の足で逃げ回る。どんな反射神経の良い子でもモンゴル人やタタール人のように馬上から(つまり自転車に乗って)射かけることはできないから、これはハンディである。「シカブタ」は足の速度からいって、自転車から完全に逃げ切ることはできない。ただし小回りがきく。「騎馬隊」は自転車から降りて追いかけることは許されないから、必ず一度止まって矢を射ることになる。その間にも「シカブタ」は逃げる。なかなか当たらない。
 逃げる「シカブタ」は、じゃんけんで決める。じゃんけんというのは、するどく「社会性」を反映することがあるので、ほとんど必ず負ける奴が決まっていて、そいつがいつも「シカブタ」(エモノ)になる。じゃんけんで決まるのは、そういう「社会の総意」である。
 残酷なのは、そのことでない。いつも負ける、その子は少し太っていて、子供ながらにトロイ子だった。「シカブタ」とは、彼のために考えられた名前なのだ。彼が逃げることが、このゲームの成立条件なのだ。つまり弓矢で射るべきは「鹿(しか)」であるのだが、今逃げているのは「ブタ」にほど近い「シカ」なのだ。
 「シカブタ」はまもなく、「危険な遊び」ということになった。「危険」なのは高々、そのできそこないの弓矢が目や何かに当たったときの怪我程度のことだった。「危険指定」した人はルールをよく知らなかったに違いない。人が人を狩ることはそれだけで「残忍」だったが、もっとひどいことに、この遊びには終わりがなかった。鬼ごっこなら、全員が捕まればおしまいになる。ところが逃げる「シカブタ」を捕獲することはゲームの中になかった。逃げ疲れて、けつまづき、ひざかどこかを擦りむいて痛さにうずくまっている「しかぶた」を、狩り手は自転車を並べて取り囲み、周りから一斉に射かけること----確かにクライマックスには違いなかったが、手製の矢をいくら射ろうと、「シカブタ」は「射殺」されなかった。飽くことはあっても、狩り終えるということはなかった。
 最初から、その弓と矢は、何かを狙っていることができるほど、ちゃんとしたものではなかった。少ない矢を射れば、拾って回わらなくては次の矢は打てなかった。「武器」として、なさけないくらいもどかしく、だから敵味方に分かれて射ち合うことなど、誰にも(追われた「シカブタ」君にさえ)思いもよらなかった。それは「最低の武器」で、そもそもが決して武器を持たない相手にしか使えない物だった。
 この遊びのせいかわからないが、「シカブタ」君は転校してしまった(随分後になって、彼が自衛隊に入ったという話を聞いた)。禁じられるまでもなく、遊びは廃れてしまった。元のチャンバラさえ、しようという者はいなくなった。

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