河川のフラクタル

水は流れるべき場所を流れるのであって、「低いところ」とやらを流れるというのは正確ではない。「水の流れ」は、地の勢い(ポテンシャル)とでもいうべきものの「表現」であって、水の理(ことわり)を知ることは地の理(ことわり)を知ることである。人もまた、住易きところ、住むべき場所に住んだのであり、集落もまた、水のごとく地の理に従った(従わざるを得なかった)のである。

都市整備は、まずもって「区画整理」をもってなされる。逆にいうと、「区画整理」をし損ねた町は、都市化が遅れてしまう。狭く曲がりくねった道を、広く直線的な道に引き直すこと、そうして町の再分節化を図ること。道は交通/流通の手段であると同時に、町の境界を形作る。

町をながれる川も、必然的に引き直さなければならない。「区画整理」が直線を原理としてなされる以上、河川のそれもその原理に従うだろう。細く曲がりくねった川は、広く直線的な川に直される。流量が増え、水流の速度は増す。

しかし「直線」は、実のところ二つの原理を含み持っていたことを思い出さなければならない。直線は、それだけでは、平面を覆い得ない。直交座標、局座標をモデルとした、平面パターン。都市の道はそのように引かれ、そして都市をあまねく覆うもうひとつの「水路」、下水道はそれとほぼ合同に引かれる。

自然河川・地下水のフラクタル次元(自己相似次元)はD=1.5前後である。

直線を原理とする二つの水路は、しかし二つの極に極限する。直線化された河川のフラクタル次元はD=1に近い。そして平面を覆うべく張り巡らされた道=下水道のそれはD=2に近い。そして両者の接続は、D=2(下水道・排水路)→D=1(人工河川)の順序を辿る。そして都市水路の問題の多くが(たとえば雨水によるより短時間の増水)、この原理のギャップ/乖離にこそ求めらる。 inserted by FC2 system