よいこの相対性理論

//よい子の相対性理論//
こころに止めておかなくてはならないことは、そう多くない。
「距離÷時間=速度」というのと、「光速は一定」ということだけだ。
時速60キロで私は走ってる。時速60キロで向こうからやってくる車とすれ
ちがうと、相手の車は60+60=120キロ/時にみえる。これがふつうで
ある。
ところが私が時速60キロだろうが、秒速1000億キロだろうが、相手が
「光」なら、光はいつも同じ速さに見える。
普通ならもっと速く見えるところ、「同じ速さ」であるためには(「速さ」が
縮んでるのだ)、
「距離÷時間=速度」だから
距離が縮むか時間が延びるかして「つじつま」をあわせないといけない。「距
離が縮む」つじつま合わせが〈ローレンツ短縮〉、「時間が延びる」つじつま
合わせが〈ウラシマ効果〉である(〈ウラシマ効果〉はちょっとSFだけど
ね)。
あとは図付きで説明すべきなのでまたね。

//よい子の相対性理論その2//
「時間が延びる」のを確かめるために、ロケットに「時計」を積もう。宇宙一
正確な(なにしろ光速は不変である)「光時計」である。

 I‾‾‾‾\
 I ↑↓  \
 I ↑↓  /
 I____/

むかしのコンピュータを使ってる気分がしてきた(笑)。とにかく、「光時
計」の原理を説明しよう。ロケットの壁に向い合う2枚の鏡が貼ってある。光
が鏡の間を往復する時間が、今仮に1秒とする(めちゃくちゃ巨大なロケット
である)。

ロケットだから飛んでいる。今、光の速さでロケットが飛んでいるとしよう。
ロケットに乗っている人は、「光時計」の光の行路は次のように見える

↑↓
↑↓

ところが、ロケットを外から見ている人は、「光時計」の光の行路は次のよう
に見えるはずである。

 /\
/  \

光が上に向かう間にも、ロケットは進んでる。光が反射して下に向かう間にも
ロケットは進んでる。したがって、ロケットの外にいる人は、光は斜めに進ん
でいるように見える。

ところが、斜めに進む分、光の行路は「長くなる」。
ここからが大事である。
ロケットの中の人が見てる光も、ロケットの外の人が見てる光も、同じ「光時
計」の光の行路である。同じ光なんだから、行って返ってくるのは同時である
はずである、そう考えちゃう。
100m離れた壁にタッチして返ってくる人と、150m離れた壁にタッチし
て返ってくる人と、同時に出発して同時で返ってきたとしたら、どっちが「か
けっこ」が速いか一目瞭然である。

余計に走った「光」が、同時に返ってくるならば、その「光」は、より速いの
である。しかしそいつはおかしい。我々はさっき、「光速は不変」といったば
かりではないか。しかも、どこからみても「光速は不変」なのである。
だとしたら、余計に走った「光」が、同時に返ってきてはいけない。余計に走
った「光」は遅れて返ってくるべきだ。

相対性理論は、ここに依拠する。余計に走った「光」は遅れて返ってくる。ロ
ケットの外から見るとそう見える。その「光」は、「光時計」の光だった。だ
ったら、「光時計」も、ロケットの外から見れば遅れて見える。
光が鏡の間を往復する時間が、1秒なのだから。

これが「ウラシマ効果」における、つじつまあわせである。

//よいこの相対性理論3-1//

「そのバスには窓がなくて、だから僕等は外を見ることが出来ない」
理科教師は魔法のように、その枝でくるりと丸を描いた。
「バスが弧を描いて曲がって行こうとする時——、その外側に向かって、僕等
は不思議な力を感じるだろう」
(Hello Good-bye,Einstein)

バスやロケットが加速するとき、今度は後ろ側に引っ張られるように、その力
を感じるに違いない。
アインシュタインがいうのは、ただ次のことである。
「その不思議な力と、重力というものを、我々は区別できない。たとえば、ロ
ケットが加速して、我々は後ろに引っ張られる力を感じるのか、突然重い重量
を持った物体が現れて、その重力でもって後ろに引っ張られる力を感じるの
か、そのどちらであるかを我々は区別できない」。

「不思議な力(加速度の場)=重力(万有引力の場)」

ただこれだけのことから、「重力の下、時の刻みは遅くなる」ことを説明して
みる。

すごい速さで回転する、巨大なレコード盤の上にいることを想像してみよう。

レコード盤は、1秒間で1周りする。
回転の中心から、1m離れた人は、円周の長さ=1×π≒3.14mを、1秒
間の間に動くことになる。だから、彼女の速度は、3.14m/秒である。
回転の中心から、1000m離れた人は、円周の長さ=1000×π≒314
0mを、1秒間の間に動くことになる。だから、彼女の速度は、3140m/
秒である。
中心から離れれば離れるほど、彼女の速度は速くなる。

中心から1万キロメートルほど離れたところにいる人は、もうほとんど光速に
近い速度で動いている。
彼女の持っている時計と、回転の中心にいるぼくの持っている時計を比べてみ
るなら、彼女の持っている時計が遅れているように、ぼくには見えるだろう。

何故そうなるかは、#465よい子の相対性理論2でやったとおりである。

ところが、彼女もぼくも同じレコード盤の上にいるのだ。そして、彼女はずっ
と中心から1万キロメートルほど離れたところにいて、だから二人の隔たりは
ずっと1万キロメートルであるだろう。彼女はすごい速さでぼくから遠ざかっ
てしまう訳ではないのだ。

「そのバスには窓がなくて、だから僕等は外を見ることが出来ない」
レコード盤の外の世界を覗けないとしたら、ぼくと彼女はずっと1万キロメー
トルの隔たりを維持し、お互いを見つめている限り、二人は(相対的に)停止
しているようにしか見えないとしたら……。
なのに、どうして片方の時計は回り、どうして片方は吸血鬼のように歳をとら
ないのだろう。

それは、あの不思議な力が、中心から離れた彼女には感じられ、中心にいるぼ
くには感じられないからだ、とやがてぼくらは結論するだろう。
「バスが弧を描いて曲がって行こうとする時——、その外側に向かって、僕等
は不思議な力を感じるだろう」

「不思議な力が、時を止める」

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