保険の起源

保険の起源

 保険の起源のひとつは「冒険貸借」というものです。近代損害保険が海上保険制度として誕生したように、海上の運輸というのは古代ではなおさら危険だし冒険でした。バビロニアにもあったという最古の「保険」(というか、先駆的危険移転制度)たる、「冒険貸借」では、危険を次のように回避します。たとえばAさんが積荷を積んで航海に出るとします。これは危険です。そこでAさんは、航海に先だって、Bさんから金を借ります。航海が成功すれば、借入金+利息(かなり高い)をBさんに返却し、失敗に終われば借入金はチャラになります。今の海上保険では、先に掛金=保険料を払って、航海が失敗に終われば、(事故に応じて)保険金が支払われますが、「冒険貸借」ではこの順序が逆になっている訳です。借入金として「保険金」は先に支払われ、事のあとから保険料がBさんに入るのです。
 紀元前より行なわれてきた「冒険貸付」は、1230年頃にローマ法王グレゴリオ9世により公布された「徴利ないし暴利を禁ずる教会法」により、容認されなくなりました。「冒険貸付」は形として「利子を取る貸付」という訳で、この法にひっかかるわけです。しかし危険がなくなった訳でないし、危険移転の必要もなくなった訳ではありません。形式的に利子を取らない(したがって法的には別形態の)「無償貸付」が考案されました。こんどは航海に出掛けるAさんが、危険負担者になってくれるBさんに、お金を貸し付けるという形を取ります。もちろん「無利子で、かつ愛情をもって」貸付はおこなわれます。ところが貸付契約は結ばれるものの、実際にはAさんからBさんへの金銭の移動は行なわれません(!)。しかし契約は結ばれたので、BさんはAさんに対して一定期間後、お金を(実際には借りてもいないお金を)「返却」しなければなりません。ただし契約書には、航海が無事成功した場合には契約は失効する旨が書き加えられています。つまり航海が失敗したときにだけ、BさんからAさんにお金の支払いがあるのです(保険金の支払い)。しかし、これだけだとBさんは保険料も受け取らず、慈善事業でお見舞金みたいに保険金を払っているみたいです。当然、この契約とは別にBさんはAさんに対価をかくれてもらっていたはずで(隠れてなので、証拠は残ってないらしい。だから保険料先払いか後払いかわからない)、結局こんな風に偽装しても、やっぱり貸付は貸付だとして、後にローマ教会はこれも「徴利禁止令」に抵触すると認定しました。

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