『ナットゥストラはああ云えばこう云う』

第一部  ナットゥストラの序説

part−1
 ナットゥストラは目覚めた。まだ太陽がでていなかったので、もう一度寝た。
 ナットゥストラは再び目覚めた。そして太陽をむかえて立ち、次のように太陽に語りかけた。
「偉大なる天体よ!-----おはようございます!!」
 そしてナットゥストラは、ねぎ(賢いもの)とからし(激しいもの)をつれ、山を降りた。-----こうしてナットゥストラの「発酵」は始まった。

 ナットゥストラは山を下って行った。彼はやがて森についたとき、その入り口に一人の老人を見付けた。老人もナットゥストラをみとめ、こう言った。
「この男に見覚えがある。おお!おまえはナットゥストラではないか。この道を進めば、やがて町へと至る。おまえはそこで何を教えようというのだ?」
「否、私は教師ではない。そのために私は行くのではない」
「私は耳を疑う。ナットゥストラ、おまえは彼らに何も与えないというのか?真理や正義、そして美について、連中に何も語らないというのか?」
「語るだけならどうしてそこまでいく必要があろう?それならば、私がいたあの山の上から叫べば充分ではないか?」
ナットゥストラはそう言って、息を吸い込み、大声で叫んだ。
「GGGAAAAAAAAAAAaaaaaaa!!!!」
「もういい、やめろ、やめてくれ。おまえの声の大きさはよくわかった。だがわからないのは、おまえが何を為しに行くかだ。さあ、今や時は満ちた。この老人に答えてみよ、ナットゥストラ」
「私は彼らと共に笑いに行くのだ。私は一人でいることに飽きた」
「なんと!ナットゥストラ。おまえもまた、あの下賎な者の一人に成り果てるのか?たわいもないことにバカのように笑うことがおまえの望みなのか?おまえはもはや、一人であることに耐えられないのか?」
「孤独を楽しむ人よ。ならば、あなたはここで何をしているのか?」
ナットゥストラは尋ねた。
「考えているのだ、ナットゥストラ、人はいかに生きるべきか、何を為すべきかについて、そしてまた私と私の神について」
「思慮を怠らぬ人よ。あなたは私を呼び止めるべきでなかった。ならば、私もあなたの貴重な孤独を邪魔することもなかっただろう。私はあなたの思慮や幸福を損ないたくない」
ナットゥストラはからしを手に取り、そしてこう言った。
「おれをなめるな、からしをなめろ!」
ナットゥストラはこのように語った。

part−2
 森を抜けると道は広くなり、やがて二手にわかれていた。そしてそこにはお地蔵さんが立っていた。
「ナットゥストラよ!この道は二手にわかれている。おまえはいったいどちらへすすむつもりだ?」
 ナットゥストラはそのままだまって、ぐんぐん進んで行った。ナットゥストラは何も語らなかった。

 さらに進むと、とある町の入口が見えた。今、誰かがゆっくりとこちらに歩いてくる。そのものは足を引きずっていた。
「何故、あなたは足を引きずっているのか」
ナットゥストラはこう尋ねた。
 その者は、ナットゥストラを一瞥すると、そのまま黙ってズルズル進んでいった。その者も何も語らなかった。

 ナットゥストラはとうとう町へ入り、広場へと至った。噂を耳にしていた町の人たちは、彼を見つけるやいなや、わっとナットゥストラの周りに集まった。そのうちの、町の長と思われる男が一歩前へ出て、次のように言った。
「私たちは、あなたを知っている。偉大な人、ナットゥストラよ。私たちはけれど、あまりに知らなすぎるのだ。私たちはおよそ何も知らない。あなたが真理を持っているほかには。ナットゥストラ、この町の民は、知に、真理に飢えている。どうかあなたの持つそれで、我々の胃を満たし、喉を潤してくれ」
 ナットゥストラは3度うなずいた。それからしばらくして次のように言った。
「おまえたちは寝言を言っているのか?」
それを聞き、群衆はざわめきだした。
「ナットゥストラ、我々が欲しいのは問いではない、答えなのだ」
ナットゥストラは頭に手をやり、こう語った。
「聞け!数多の無知者よ!おまえたちは何も知らない。だから、何も知ることはできない。聞け!数多の無知者よ!おまえたちは知りすぎてしまっている。だから、これ以上何も受け取ることはできない。聞け!数多の無知者よ!おまえたちは何もしようとしない。だから、何もすることはできない。聞け!数多の無知者よ!おまえたちは私から『答え』を聞こうとしている。だが、私の『答え』にあう『問い』がおまえたちにあるのか?聞け!数多の無知者よ!おまえたちは問い尋ねさえしない。知らないことを厭うばかりで、知りたいと欲望することもない。聞け!数多の無知者よ!『私たちは何も知らない』が、おまえたちが知ることのできるたったひとつの真理なのだ。聞け!数多の無知者よ!」
 群衆は次々と姿を消した。最後に残ったのは、さっきの足を引きずっていた男だった。
「おれをなめるな、からしをなめろ!」
ナットゥストラはこのように語った。

part−3
 ナットゥストラは広場を去り、町のはずれに来た。そこには一面の大豆畑がひろがっていた。
「聞け!偉大な大地の肉、大豆たちよ!私はおまえたちに「なっとう」を教える。大豆は超え得るものである。おまえたちは、大豆を超える何かをしたか?」
 ナットゥストラは、大豆に向かって無理なことを言った。大豆畑は何も言わなかった。
「この豆腐のくさったような奴め!」
 ナットゥストラはこのように語った。
 

part−4
 ナットゥストラは、だいず畑を突っ切って、やがて川のほとりに来た。そこには、書を読む少年がすわっていた。彼は、川面にナットゥストラの影が映ったのを見て、おもむろに顔を上げた。
「ああ、ナットゥストラ。ぼくは、あなたの来るのを待っていた。-----ぼくはもう死んでしまいたい。」
ナットゥストラは訝り、そして訳を聞いてみた。
「今や、世界はこの川のように澄んでいない。ぼくはこの世界をなんとかしたいのだ。けれど、ぼくがなんとかしようとしても、ああ世界はあまりに大きすぎる!! ぼくには何もできない。ぼくに生きる価値はない。」
「おまえは、この川に何を見ていたのだ?」とナットゥストラは尋ねた。
「無力なぼく自身、そしてこの汚れきった世界をだ」
「私には、この川が澄んでいるようには思えない。この川におまえが映っているとも。あそこにいるのは、おまえではない。おまえはおまえを知らない。おまえは、あそこにいるものといっしょになるべきだ」
「ぼくに川へ飛込めというのか」
少年は憤り、そして立ち上がった。その時、彼の手元から本が落ちた。ナットゥストラは、それを拾い上げ、しおりの挟んだページを開いた。
「“哲学者は世界を様々に解釈したにすぎない。大事なのは、しかし、それを変えることだ。”-----そのとおりだ。私は、一つの真理を見付けた。ナットゥストラは今、書を読む少年に語ろう。この書さえも世界の一部、否、一つの世界である。おまえはそれを解釈したにすぎない。大事なのは、しかし、この小さな世界をも変えることだ。」
ナットゥストラはそう言い、その本を引きちぎって川へほうりこんだ。
「わあぁ!!」
少年は地を蹴り、川へ落ちる紙切れに飛びつこうとした。そうして彼は溺れてしまった。
 
 

part−5
 ナットゥストラは黙々とただ歩き続けた。その間、ただの一人も会わなかった。月が三度満ち、三度欠けた後、一人の老人がランプを手に暗やみから現われた。
 ナットゥストラは彼の声を聞いた。
「私の言うことに従ってはならない」
 偉大なる賢者はそう語った。
「私の言うことに従ってはならない」
 偉大なる賢者はもう一度語った。
ナットゥストラは三度うなずき、しかし三度は言わせなかった。偉大なる賢者に三歩で間合いをつめ、そしておもむろに賢者を殴りだした。
「いてて、なにをする、やめろ、やめてくれ!」
「『従うな』とおまえは言ったではないか?」
ナットゥストラは殴り続けた。
「……では、もっと殴れ!」
一考を案じた賢者はそう言った。
「望むところだ!」
ナットゥストラは殴り続けた。-----ナットゥストラはこのように語った。

part−6   
 「なぜあなたは真理をもとめないのか」
一人の青年が訝り、ナットゥストラにこう尋ねた。
 ナットゥストラは、その問いに対して言った。
「どうして、それはあると思うのだ」
「ぼくはそれを求めている。それなしに人は生きられない。」
 今度はナットゥストラが訝り、青年にこう尋ねた。
「ないからこそ、欠けているからこそ求めるのではないか。生きているからこそ求め得るのではないか」
「それでは、ぼくのしていることは無意味になってしまう」
「ならば、おまえの生に意味があり、それ故に真理は存在する、とおまえは言うのだな。真理という宝は今は見えぬが世界のどこかに隠されている、と。────いったいおまえはどこでそんな宝の地図などもらったのだ?」
「あなたも知っている西の谷に住む男だ。彼はすべてをしっている」
「なるほど、彼はすべてを知っている。が、自分の知っていることが、正しいか誤っているか、彼は知ることができない。それ故、彼はおまえに地図を渡し、それを確めようとしたのだ。青年よ、私はおまえのような者を何人も知っている」
ナットゥストラはそう語り、そこを立ち去ろうとした。
「待て、ナットゥストラ。ぼくはまだ答を聞いてない」
「私はおまえの求めるものではない」
追いすがる声に、ナットゥストラはそう答えた。
 

part−7

 ある時「信者たちの指令者」と呼ばれる王が触れを出した。およそ人の足、獣の足で行き着けるすべての地へ使者が出され、賢者、聖人と呼ばれるものたちがひろく集められることとなった。
 さっそく彼らをねぎらう宴が城の前の広場で開かれた。その地では聖なるものと尊ばれる白い牡牛をつれて王が現れ、集まった賢者たちにそれを示し、それから皆にこう語った。
「汝たちのなかで、もっとも知恵のあるものに、この白牛をやろう」
 すると、その宴席を丘の上からみていたナットゥストラが坂を駆け下り、牛をひょいとかついでそのまま逃げた。
 賢者たちは皆、突然のことに呆気にとられた。が、すぐに、賢者たちのうちで最も背の高い者が、走り去ろうとするナットゥストラを見つけて、手で示した。
 賢者たちのうちで最も疑問を持つ者が尋ねた。
「あれは何者か?何のために何を行い、またどこから来てどこへ行くのか」
 賢者たちのうちで最も目のよい者が、逃げ去る者の服の裏地に刺繍された文字を読みとった。
「あの者はナットゥストラだ」
 賢者たちのうちで最も性急なものが言った。
「つまり我々の敵だ!」
 賢者たちのうちで最も気が早いものが言った。
「もう死のう」
 賢者たちのうちで最もせっかちな者が言った。
「ぶっとばす」 
 賢者たちのうちで最も気持ちのやさしいものが意見を述べた。
「彼には飢えた家族がいるんだ、きっと」
 賢者たちのうちで最も世を拗ねた者も意見を述べた。
「どうせおれはバカだ」
 賢者たちのうちで最も素朴な者が疑問を口にした。
「あの者は、我々にもまして知恵のあるものだというのか?」
 やっとのことで、賢者たちのうちで最も声の大きい者に順番が回ってきた。彼は遠くに問いかけた。
「おーい、ナットゥストラよおおお、おまえは、我々にもまして知恵のあるものだというのかあああ?」

 ナットゥストラは牛をかついだまま遠くで振り返った。
「私はただ牛がほしいだけだ」
 ナットゥストラはこのように語った。

part−8
 ナットゥストラは大通りに出た。そこには杖をつきながらウロウロしている老婆がいた。彼女はナットゥストラを見ると涙を流しながら彼に近付いてきた。
「おお、おまえはナットゥストラ。この哀れな老婆の願いを聞いておくれ。私は<楽園>を探している。旅に出て5年、足もすっかり萎え、未だ己の行く道もわからぬ始末。教えておくれ、ナットゥストラ。そしてこの老婆を導いておくれ」
ナットゥストラはこの厚かましい老婆から逃げ出したい気持ちに駆られたが、老婆はしっかりと彼の袖を握っていた。
 ナットゥストラはやがて口を開いた。
「老婆よ、おまえの探した場所はここにはない」
「ではさらに西へ行くのか。それとも北か、南か。あるいはもう通りすぎてしまったのか」
ナットゥストラは首を振った。
「そのどれでもない」
「そんなはずはない。おまえは私の息子に似ている。息子はいった。『それはどこにでもある』と。おまえもまた、この老婆をたぶらかそうというのか」
ナットゥストラはため息をついた。
「おまえは賢明な息子の言葉に耳を傾けるべきであった。なぞを解いてやろう。-----おまえはそこに立つことができない。なぜならそれはおまえの足の裏にあるのだから」
ナットゥストラはこのように語った。
 

part−9
 しかし老婆はナットゥストラの答えに満足し、何度もそこに立つことを試みた。繰り返し繰り返し老婆はひっくり帰り、その度に尻餅をついては、歩き去るナットゥストラに感謝を述べ、そしてまた繰り返し繰り返しひっくり返った。

 ナットゥストラは何も言わなかった。
 

part−10
 ナットゥストラは人々の住む場所から遠ざかるのを感じながら、荒野を進んで行った。
 ところが誰もいないと思われたその場所に、大きな石にもたれながら、勝ち残ることに長けた男が座っていた。
「私は疲れている」
と、勝ち残ることに長けた男は言った。
「以前の私は焦燥していた。我々が乗れる<船>は小さかった。『昔のようにはいかない』といつも言い聞かせていた。しかし私は『昔』を知らない。誰もがそれなりに援助されていたという『昔』を知らない。『今』は誰もが自分で自分を助けなければならない、誰も私を助けてはくれないと言い聞かせてきた。私はいつも<船>に残れた。<船>は次第に小さくなっていった。私はいつも<船>に残れた。しかし、私は独りになってしまった」
 ナットゥストラは何も言わなかった。
「ナットゥストラよ、海に小さな板切れが浮かんでいる。友人である君と私は、荒れ果てた海に投げ出されている。どちらか一人が板切れにつかまれば助かるだろう。つかまれなかった者は溺れるだろう。しかし板切れはあまりに小さく一枚きりなのだ。ナットゥストラよ、君はどうするのか?」
「お前は、まるで神のような口を聞く。神のように私を試すつもりか?」
「否!決してそうではないのだ!。君は哲学者の答えを知らないか?彼はなんといったのだろう?」
「疲れた者よ、彼は、板切れを独り占めすることは残酷だが、手放すことは愚かだ、と言ったのだ。しかし、こんな問いはお前には何の意味もない。よく見るがいい、ここにはお前一人しかいないではないか」
 勝ち残ることに長けた男は顔を上げた。ナットゥストラはもういなかった。

 ナットゥストラはこのように語った。 inserted by FC2 system