言葉が人を裁くまにまに


 フィリピンから日本へやってきた出稼ぎ労働者の一人が、ある刑事事件に関係したとされ、日本の警察に逮捕され、日本の検察に起訴され、日本の裁判所で裁かれ、有罪の判決を受けた。

 「英語はフィリピンの公用語である」ことから、取り調べも裁判も、英語通訳を同席させて行われた。ところが彼は英語をまるで理解しなかった。そもそも彼が日本に来たのは英語ができないからだった。
 まずしい家の生まれである彼は、同じような境遇の者の多くがそうであるように、幼少の頃から生活に追われ満足に学校へ通うことができず、英語を習得することがなかった。そのためフィリピンでよい職につくことができず、なんとかそういった生活を断ち切ろうと、日本への出稼ぎを選んだのだった。

 あるときは日本人によって自嘲的に語られ、あるときは困惑ぎみに「外国人」から指摘されること-----日本人は「外国人」の誰もが英語を話すものと思い込んでいる-----「日本がほこる司法システム」が、外国人を英会話の練習台としかみない連中と同程度の認識に立っていたと思うわけではないが、この事件は(いささかファナティックな言葉を選べば)「日本の司法システムが、英語帝国主義の尖兵となり、ひとりの非英語人の人権を抹殺した」とも言うことができよう。

 実際、これはかつて植民地でよくみられた裁判のやり方だ。罪を犯したと告発され、逮捕・拘禁され、法廷につれてこられるのは、多くは貧しく満足な教育を受けてない人々だった。そしてそれを裁く側は、宗主国の言語と法システムをみにつけた人物、あるときは宗主国から派遣された人物であった。それはアジアやアフリカの植民地だけでなく、たとえばベルギーでは民衆の多くがオランダ語を話す地域であっても、裁判は必ずフランス語で行われた。公判中、もちろん被告は、検察側が裁判官がそして自分の弁護士が何をしゃべっているのか、自分がどんな罰を求刑されているのか、いったい何の罪を犯したのかさえ、わからない始末だった。すべてが終わり判決が出たあと、フランス語の判決文はようやくオランダ語に翻訳される。それを手にして初めて、彼は自分のやった(とされた)ことと、今後の運命(罰)を知るのだ。

 いまではこんな裁判は、「市民的及び政治的権利に冠する国際規約(いわゆる国際人権B規約)」に、はっきりと禁止されている。もちろん、この規約は日本も批准している。
 その第14条は、「すべての者は、裁判所の前に平等である」とはじまり、その第3項には「すべての者は、その刑事上の罪の決定について、十分平等に、すくなくとも次の保証を受ける権利を有する」とある。すなわち
(a)その理解する言語で速やかにかつ詳細にその罪の性質及び理由を告げられること。
(f)裁判所において使用される言語を理解すること又は話すことができない場合には、無料で通訳の援助を受けること。

 1991年に大阪弁護士会が実施したアンケートの結果、日本の刑事裁判を受けた外国人の三割が裁判手続きを理解しておらず、ドイツ人、フィリピン人が母国語以外の英語で取り調べを受けたケースもあることがわかり、同弁護士会主催のシンポジウムで報告された。
 フィリピン人のケースでは、容疑者が英語を解せず、取調官が日本語(通訳をいれてもせいぜい英語)しか話せなかったのに、きちんと調書が出来上がっていた。もちろん、話していない内容まできちんと記載されていたのである。
 1993年4月、東京地裁にアフリカ人の被告が入管難民法違反で起訴された。横にはパキスタン人通訳が付いていたが、被告が話すのはスワヒリ語だった。おまけにパキスタン人は英語通訳として雇われていた。もちろん、被告は周りの言葉が何一つわからなかった。
 1993年2月、衆院法務委員会で、パレスチナ人難民の難民認定が取り上げられた。アラビア語を話すパレスチナ人に、入国管理国局はペルシャ語に堪能な通訳をつけた、というのだ。当時の法務省の高橋雅二入国管理局長は「イラン人だが英語の通訳として使った」と答弁した。
 ここでも英語である。「外国人」はみな英語を話すのではない、誰もが(日本人によって)英語を話すことを強いられているのである。

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