サウンド

SOUND

  1. ナリ。心ニ生ジ、外ニ節アル、コレヲトイフ。(『説文解字』)

  2. この地球の上では、物が動けば必ず音が生じる。我々の世界は、媒質に満たされている。

  3. 力が物につきあたると音が生じ、光が物につきあたると影が生まれる。

  4. 「凡そ音は人心より生ずる。人心が動くのは、物がそうしむけるからである。物に感じて心が動けば、すなわち心は声に現れる。声が他の声と相応ずると、そこに変化が生まれる。変化が秩序をなしたとき、これを音という。音を並べて楽器にかけ、それが干戚・羽旄にまでなったとき、これを楽という」 (史記「律論」)

  5. 「楽」と「礼」は対をなす概念である。楽は人を同調させ、礼は人を差別させる。楽は親和を、礼は畏敬を司る。大楽は天地と調和を同じくし、大礼は天地と節度を同じくする。楽とは天地の調和であり、礼とは天地の序列である。

  6. 「楽理」は、ミクロからマクロへ渡って心理学から政治学であり、そしてそのまま戦争術に繋がる。諸制度の基礎(租税であろうと何であろうと、「同じ」ということをあまねく通用させようとする限り)は、単位法であり、その一切は音階に基づく。
     同じ音を出す笛の長さがその単位であって(これは調和(共鳴)によって正確に確かめることができる)、更に兵法には「度(単位)は量を生じ、量は数を生じ、数は称(秤、比較すること)を生じ、称は勝を生ず」(『孫子』)

  7. かつて、音と法律行為は、かたく結びついていた。

  8. たとえばヨーロッパでは、土地の所有権移動の際に、鐘が鳴らされた。「土地の慣習に従って、鐘を鳴らしながら差し押さえた」などの記録が残っている。逆に、鐘をならずになされた土地売買は、法的に無効とみなされた。

  9. ある町を、キリスト教徒たちが占領すると、まずそこにある建物を改造し 教会を築き、そして鐘を鳴らして、支配の確立を民衆に知らせた。

  10. 鐘の音には退魔の力がある。たとえば、嵐になると必ず鐘が叩かれる。それによって嵐を退散させるのである(そっちで鐘を叩いたから、嵐や災難が我らの村に来たじゃないか、という「鐘の音を巡る」争いが18世紀にまであった)。また疫病が流行すると鐘が叩かれた。18世紀頃までその力が信じられていた。banishというゲルマン語は「バン」という擬音が語源である。音が悪魔を退散させるのである。

  11. 中国では古来から、新年の厄払いに、火中に青竹を投げ込む風習があった。破裂する音が魔を遠ざけるからであり、爆竹のはじまりである(火薬が用いられるようになったのは、北宗以降のこと)。

  12. 古代日本に見られる銅鐸は、叩けばその音が2.5キロも聴こえ、共同体の伝達手段、結束を高めるものだった(音の聞こえる範囲が共同体だった訳だ)が、村々が征服・平定され、統一国家が作られるにつれ、個々の村が持つ「音の出す装置」は邪魔になり、壊された。

  13. 鐘もまた、その音が聞こえる範囲という社会的なまとまり、支配の及ぶ範囲を画する役目を果たした。たとえば、生粋のロンドン子を意味するコグニーとは、聖メアリー・ル・ボウ教会の鐘が聞こえる範囲で生まれた者をさす。

  14. 普段は教会に属し農民が勝手に叩けない鐘も、非常時には叩くことができた(共同体のものになる)。農民戦争のとき、農民達は「鐘を叩くぞ」と領主を脅し自らの要求を突き付けた。鐘を叩くと遠方から(音響共同体の)仲間が集まる。これを領主は恐れたのである。そのような事態を避けるために、銅鐸が壊されたのと同じように、最終的に教会の鐘は壊されることになる。それ以後、鐘(音)によるコミュニケーションは廃れ、領主からの通達は羊皮紙の文書(ことば→スクリプト)にかわる。

  15. 「……畠山方の乱逆しきりにおこって、京中さわぎあへり、かの乱吹に便風を得て、山崎・西の岡・伏見・深草・淀・鳥羽以下の土一揆等、夜な夜なに下京にあつまりて徳政の鐘を鳴らす、酒屋・土倉の譴責、晝夜の不同なし……」(「応仁略記」)

  16. 「徳政の鐘」とは徳政の時の到来という非常事態を告げる鐘であって、しかも特定の地位にいない者であっても鳴らすことのできた鐘であった。この「無筆文盲の者にも鳴らすこと」のできた鐘は、中世において民衆の自主的なコミュニケーションと政治状況の認識の共有とを維持する手段であった。

  17. 一揆に際して、蜂起者たちは協議の上、具体的な決定の遵守を誓約する起請文を作って全員で署判した上で、これを燃やしてその灰を水にまぜ、神前で互いにくみかわす、いわゆる「一味神水」を行った(水杯の起源)。この「一味神水」に際しても、鐘・鉦・鍔口・鈴・刀など金属の器具を打ち鳴らし、その音において誓約を固めた。

  18. 現在の静岡県掛川にある観音寺には、「無間の鐘」と呼ばれる鐘があり、これをつくと来世で無間地獄に落ちることを約束に、現世で富を得ることができるという伝説があった。俚謡や黄表紙、歌舞伎で江戸町人に人気であった激情の美女、梅が枝は、愛する男のために、300両の金策に心砕き、苦心の末、手水鉢を「無間の鐘」になぞらえて柄杓で打ち、未来永劫地獄に落ちてもいといはしないからと金が欲しいと一心に願う。すると思いがとどき、二階障子から小判が散ってくる。それを拾う梅が枝の「ここに三両、かしこに五両」は劇中の名セリフ。

  19. ある町を、イスラム教徒たちが占領すると、鐘の音がやみ、かわって1日5回の祈りの時刻を知らせる肉声(アザーン)が町を満たした。

  20. 自分自信の修行の一部である「専修念仏」(自分のために自分で唱える)に対して、鎌倉仏教以後その「他力本願」的ムードの中で生まれたのが「融通念仏」である。これは一人の念仏が他人のためにも融通する、というもので、したがって100人で唱えれば100倍の、1000人で唱えれば1000倍の効果が上がるという理屈になる。このネズミ講的発想は、信者を爆発的に増やす一因にもなった。仏教本来の性質からはあまりに遠く、共同体の増幅性をはらむ凄い発想である。

  21. 「人様に云えるほどのお金があれば
    古着はいらんかね、なんて叫ばないよ
    古着はいらんかね、古着はいかが
    金さえあれば、古着はいかがなんて云うもんか」
    (ロンドン 古着売りの呼び声)

  22. バラッド売りは、歌いながら、「ブロードサイド」と呼ばれる簡単な片面刷りの楽譜(主として時事的な風刺を内容とした物が人気だった)を売り歩いた。といっても歌詞の他、五線譜が印刷されていたわけでなく、たとえば「『若者よ来たれ』の節で」といったように、誰もが知っている流行歌のメロディーにのせて歌うよう指示されていた。もちろん中には「とても素敵な新曲に合わせて」という場合もあった。そんな時は、お客はバラッド売りが歌うのを覚えて帰るのだ。

  23. 声明の楽譜は「ネウマ式」といい、謡曲のように、上げ下げを線で表すものがあるが、その線を<博士>と呼び、いま一般に使われている博士というのは、その声明で、音を正しく発音するものを「博士」と呼んだことに由来する。また、譜に現わせない「こぶし」を「塩梅(えんばい)」と呼び「あんばい」はこれに由来する。また、「呂律が回らない」の「呂律」も、元々は声明の音階である。

  24. 「音楽は耳で食べるまんじゅうである」(兼常清佐)

  25. quadrivium(高等四科)=算術、幾何、天文、音楽(和声学)

  26. ジョン・ケージ(1912〜1992)はあるとき、師匠であるシェーンベルグ(1874〜1951)にこう言われた。「一生を音楽に捧げる気があるか」と。
    そこで彼は「はい」と答えた。
    それから二年間シェーンベルグのもとで音楽を学んだ彼にシェーンベルグはこう言った。
    「音楽を書くためには、和声の感覚をもたなければなりません。」
    それを聞いた彼は自分が和声の感覚を全くもっていないことをシェーンベルグに告げた。
    するとシェーンベルグは、
    「それはケージにとって音楽を続けることの障害になるだろう。それはちょうど通り抜けることのできない壁につきあたるようなものだ」
    と言ったそうだ。
    そこでケージはこう答えた。
    「それなら、私は壁に頭を打ち続けることに一生を捧げます」 と。

  27. 「言い換えれば、芸術は(情報理論における意味での)雑音を知らない、と言えよう*。それは純粋な体系であって、無駄な単位はない。」バルト『物語の構造分析』邦訳13頁
    「*まさにこの点で、芸術は<実人生>とは異なる。<実人生>は、<ぼやけた>コミュニケーションしか知らない。この<ぼかし>(その向こうを見ることができないもの)は、芸術にも存在しうるが、しかしその場合は、コード化された要素として存在するのである(例えばワトーの絵)。しかし書かれたコードは、こうした<ぼかし>を知らない。エクリチュールは宿命的に明確なのである。」

  28. 平原にまっすぐに引かれた線路の上を、蒸気機関車に牽引されて目の前の通り過ぎていく列車に乗せられた、オーケストラの奏でるメロディが#からbへと変わっていく。大がかりで豪勢で優美で子供じみた実験。ドップラー効果の世界最初の実証。

  29. インド、アッサム高地のセマ・ナガ族では、そのプーンという音によって風をおこし、せっかく育った穀物を台なしにしてしまうという理由から、コマ遊びができるのは焼き畑に穀物が植わっていない間だけ、つまり収穫完了から次の年の播種までと決められているのである。

  30. 主は言われた、「出て、山の上で主の前に、立ちなさい」。その時主は通り過ぎられ、主の前に大きな強い風が吹き、山を裂き、岩を砕いた。しかし主は風の中におられなかった。風の後に地震があったが、主は地震の中におられなかった。地震の後に火事があったが、主は火の中におられなかった。火の後に静かな声が聞こえた。
    (「列王記上」19章11〜12)

  31.  言い伝えによれば、オデュッセウスはあやかしの人魚の誘惑から身を守るため、両耳に鑞をつめ、船の帆柱にかたく自分を縛り付けさせた。
     すでに人魚の歌声に頭がくらんでいないかぎり、船を旅する者が一度は思い付く手段だろう。

  32.  しかしながら、そんなことをしてみても何の役にも立たないことを、誰もが知っていたはずである。人魚の歌声は何であれつらぬいて耳にとどく。
     それに怪しい歌声にまどわされたときの悶えときたら、鎖を引きちぎりマストをへし折るほどのものなどだ。

  33.  オデュッセウスもまたそれを知らないわけではなかったろう。しかし彼は意に介さなかった。
     両耳の鑞と、からだを縛った鎖を信じ切って、意気揚々と人魚達にむかって船を進めた。

  34. ところで人魚たちは、歌よりもはるかに強力な武器をもっていた。つまり、沈黙である。

  35. たしかにこれまであったためしはないにせよ、彼女たちの歌声から身を守れないことはなさそうだ。

  36. しかし、沈黙にはとうてい駄目である。自力で人魚に打ち勝ったという感情と、そのあとにこみあげてくる昂然とした気持ちには、誰であれ出もなくやられてしまうものだから。

  37. 実際、そのとおりだったのだ。オデュッセウスの船が漕ぎ進んできたとき、人魚たちは歌っていなかったのだ。この敵に対しては沈黙こそ有効だと考えたからなのか、あるいはまた鑞と鎖を信じ切ったオデュッセウスの安らかな顔をみて、つい歌うのを忘れたのか、はたしてどうなのか。

  38. しかしオデュッセウスは、奇妙な言いぐさながら、沈黙を聞きはしなかったのだ。人魚は歌っており、にもかかわらず自分ひとりあやかしの歌から安全だと思いこんでいた。

  39. 人魚たちの喉がふるえ、胸がふくらみ、眼から涙があふれ、口が半ばひらいたのを眼にとめた。

  40. 次の瞬間、すべてが彼の視野から消えていた。オデュッセウスは遥かな方へと一心不乱に目をすえていた。その決意の前には人魚はものの数ではなかったわけだ。船があやかしの島の近くをかすめたとき、もはや人魚のことなど念頭になかった。

  41. 一方、人魚たちが、このときほど美しかったことはなかっただろう。伸び上がり、振り返り、吹き渡る風に髪をなびかせ、爪を岩につきたてて、誘惑しようなどともはや考えていなかった。なるたけ長く、陶然としたオデュッセウスの目の輝きを見つめていたかった。もしも人魚に自意識というものがあったなら、このとき滅んでいたはずだ。

  42. ともあれ人魚はあとに残り、首尾よくオデュッセウスは難を逃れて通り過ぎた。

  43. もうひとつ別の話が伝わっている。智将オデュッセウスは、煮ても焼いても食えないズル狐であって、人間の知恵など及びもつかないことながら、とっくに人魚の沈黙に気付いていて、にもかかわらず、いわば護身用の盾として、人魚や神々に対し、あの一連の芝居をやってのけたというのである。
    (カフカ『人魚の沈黙』)

  44. カフカにあっては、セイレーン(人魚)たちは沈黙しているのだ。もしかするとこのことは、音楽や歌がかれにあっては逃走の表現、あるいは少なくとも、逃走の担保であることの、せいでもあったろうか。希望の担保としての音楽と歌を、ぼくらは、あの助手たちが住み着いている媒介的な小世界から、未完成であると同時に日常的で、慰めを与えてくれると同時にばかばかしく思えるあの小世界から、知っている。カフカは、恐怖を学ぶために出立した若者のように、ポチョムキンの宮殿にはまりこんでいったが、最後にしかし、その宮殿の地下の穴倉で、あのねずみの歌姫ヨゼフィーネに、めぐりあうことにな る。彼女の歌を、彼は次のように描写している。
    「その歌のなかには、貧しく短かった幼年時代の何かが、失われてしまって二度とは見つけだせない幸福な何かが、しかもまた、活動的な現代の生活の何かが含まれている。すなわちこの生活の、理解を絶するとはいえ、ささやかには現存していて、滅ぼされることのありえない、快活さの幾分かが」
    (ベンヤミン「フランツ・カフカ」)

  45. 電話の声は、日常、人がかわすほとんどどんな声よりも、間近に聞こえる。遠く離れているのに、ほんの耳元でささやくように。

  46. (恋人でもなければ、そんな距離に入れないことを、心理学は記述している)。

  47. c=331.5+0.6t (m/sec)

  48.  かつて玄関近くに電話が置かれることが多かったのは、電話が電報の代替物であったからである。どの家庭にも、電報を打つための用紙が置いてあった時代、それは玄関から入ってくる郵便夫に手渡すのに便利なようにその近くに置いてあったのである。

  49. そしてもうひとつ、電話は「外」と「内」との接触面(インターフェイス)であったので、家の作りの上から「外」と「内」との接触面(インターフェイス)であった玄関近くに、電報の代替物であったという記憶が失われてからも置かれ続けたのである。

  50. 電話が居間に入ってきたことと、テレビが居間に入ってきたことは、だからもちろん呼応する。かつて、ブラウン管の手前には観音開きの扉がついていた。これはテレビが「家具」として捉えられていたことと、そしてやはりそれが「外に通じる窓」であったからである(水木しげるの「テレビくん」というのを今思いだした)。それは開いたり閉じたりするものだった。

  51. ところが電話は、原稿生活者なら誰もが恐怖するように、不回避な侵入である(電話のベル!)。こっちがいやでも、否応無しにやって来る。そのような「外」との接触面を居間に置くことに、どうして我々は馴れ親しんでしまったのだろうか。どうしてテレビから扉が消え、あまつさえ一日中消えることがなくなってしまったのだろうか。……(中略)……。

  52. ワンルームマンションは、ただの「個人の部屋」ではなかった。もはや「玄関近く」に電話を置くことは、「個人の部屋」でそうするのと同様滑稽で不合理極まりないことである。家にあった空間的な序列はありうるはずもなく、「奥行き」は消失し、それどころか裏返される。そしてこの部屋の住人は、ほとんどすべての時間、外出中なのだ。この多くの時間誰もいない部屋で、電話はいつも「手の届く場所」に置かれるだろう。

  53. たとえば我々は、誰かが「鍵っ子」と名指されなければならなかった理由を今や失念してしまっているが、以前には、だれも自分の住居の鍵をもって外出しなかった。家には常に誰かいたからである。……(中略)……。

  54. 今日いたるところで、そっくり似通った「均一な孤独」が可能である。そして何よりもそれぞれの「孤独」が互いに等しいことが(「孤独」であることではなく)、つまり交換可能であることが重要である。今ではそれだけが、コミュニケーションのアルファでありオメガであるから。

  55. 「フロイトはどうも電話が好きでなかったらしい。人の話を聞くのが大好きだったあのフロイトがである。おそらくやフロイトは、電話が常に不協和音であること、そこから伝わってくるのが悪しき声、偽りのコミュニケーションであることを、感じ、予見していたのであろう。電話をかけるわたしは、おそらく、離別を否認しようとしているのである。あたかも、母親を失うことを恐れた子供が、ひっきりなしに紐をいじくって遊ぶのと同じように。しかしながら、電話線は格好の転移対象とはいえない。それは、無力なただの紐ではないのである。電話線には、結合ではなく隔たりという意味が充電されているのだ。電話から聞こえてくるいとしくも疲れ切ったあの声、それは、まさしく苦悩の中にフェイディングするものである。第一にその声は、たしかにわたしの耳に届いており、聞こえており、持続してはいる(やっとのことで)のだけれど、わたしにはどうしてもその声の主を完全に聞き分けることができない。なにやら仮面の下から聞こえてくるような声なのだ(ギリシャ悲劇の仮面には魔術的機能があったと言われている。仮面は、その下からもれ出る声に地獄の者である機嫌を与え、ゆがめ、遠ざけ、地の底から聞こえる声かと思わせるからである)。さらにまた、電話に出ているあの人は、常に出発を控えた状態にある。その声によって、その沈黙によって、あの人は二度立ち去るのだ。どちらが話す番だったか。二人ともどもにだまりこむ。二つの空虚のせめぎ合い。お別れします、電話の声は一秒毎にそういっているのである。

    (プルーストの語り手が祖母に電話をして体験するあの苦悩の挿話。電話のことで苦悩するとは、真実の愛のしるしなのだ。)」

    (ロラン・バルト『恋愛のディスクール』)

  56. 言語学者ラボフによれば、ニューヨークのような大都市の英語では、[θ](thの発音として)などの発音ができるかどうか(この音自体は世界的に珍しい音である)によって、出身階層が区別される(もちろん基準になる音は他にもある)。

  57. いわば、この「サンキュー」「シンク」「スリー」などの発音は階級闘争の場である。この音が発音できない階級は、公式の場では「よそ行き」の発音を強いられることになり、本来関係のない音までも[θ]の音に取り替えてしまうような場合がある。つまり、「なおしすぎ=ハイパー・コレクション」である。

  58. ラボフはアメリカの階級を上下五つに区別し、それぞれの階級における「プレスティージ」(お上品、権威)への意志の強さを研究した。その結果、中流の下あたりの階層で、最も強くプレスティージが求められるという(いわば当然の)結論を導き出した。

  59. ラボフの研究の目的は、言語の変化がどこで行なわれるかを突き止めることであった。つまり、上のような研究に基づいてラボフは、言語変化の担い手として、そうした上昇志向の強い人々を見出したのである。(ただし、同じ中流の下の階級であっても、年齢、性別、職業などによって様々であることは当然である)

  60. 「もし異国の種族の所へ行って、その言語が全く分からず、どのようなことばが〈よい〉とか〈きれい〉とか等に当たるかを知りたいと思ったら、諸君は何に目をつけるだろうか。ほほえみ、身振り、食物、玩具に目をつけるだろう。

  61. 〔反論に対する答え〕もし火星へ行って、そこの人間が棒の突き出ている球状のものであったとしたら、何に目を付けていいか分からないだろう。あるいは、もしある種族のところへ行って、そこでは口から出てくる音が単なる呼吸音だったり音楽だったりして、言語が耳で述べられるとしたら、どうか。)このことがわれわれをどれほど通常の美学〔と倫理学〕から引き離すことか。」
    (ウィトゲンシュタイン「美学、心理学および宗教的信念についての講義と会話」6)

  62. ラジオ男はラジオを持っている。ネバーランドの鰐みたいに、おなかにラジオを飲み込んでる。鰐が近付くと、「チックタック」時計の音が聞こえる。時を刻む音がすると、だからネバーランドは恐怖する。ラジオ男がやってくると、ちゃんと(かすかに)ラジオの音がする。6時ちょうどに現れるなら、おなかの中から時報がする。「午後6時をお知らせします。ピ、ピ、ピ、ポーン」。そうして今度はニュースが始まる。

     ラジオ男はラジオを聞く。四六時中、内なる声を聞いている。そして世間に通じている。

  63. ラジオ男の内側から、彼も知らない言葉が聞こえる。強くなり弱くなる音楽に混じって、どこかよその国の声が聞こえてくる。----夜が始まったのだ。
    (PRIVATE PAIN)

  64. 和音の基本は、「五度」である。たとえばC(ド)にG(ソ)を重ねる。周波数にして1.5倍の音を重ねること。これを繰り返すとC→G→D→A→E→B→F#→C#→Ab→Eb→Bb→F→Cと12回で一巡する。

  65. たとえば中国音階はこの「五度」の旋回として作られている。「五度」旋回の螺旋を描いてみよう。ちょうど7オクターブ高いCと、「五度」の螺旋は交わる。12の「五度」と、7オクターブは重なり合うわけだ。

  66. オクターブ理論は、倍数を基本とする。Cと1オクターブ高いCは、周波数にして2倍違う。

  67. 1.5と2は通約しない。「五度」の系列とオクターブの系列は、数学的基盤で繋がることがない。7オクターブ高い音は、周波数にして2の7乗=128倍の音である。そして12の「五度」は、1.5の12乗=129.75倍である。この両者の比1.0136が、「ピタゴラスのコンマ」と云われる、和音の原理とオクターブの原理のギャップである。

  68. 中国音階は、オクターブに固執せず、「五度」の旋回による十二の音に基づいた調性を定めた。その結果、Cと(最後にもどってくる7オクターブ高い)Cとは、正確に倍数の関係にない、互いに正確にはアイデンティファイできない音となった。

  69. 古代ギリシャでも、「五度」旋回の終わりとオクターブの終わりが重ならないために、様々な折り合いの付け方、様々な旋法があった(イオニア、ドリア、フリギア、リディア、ミクソリディア、ロクリア)。

  70. これら「純正律」(「五度」の調和音を重んじた仕方)に対して、「五度」旋回の終わりとオクターブの終わりがぴったり重ね合う仕方が現れた。「ピタゴラスのコンマ」の小数部分を12等分し、それぞれオクターブ内の各12音から差し引く。

  71. この結果、「五度」は正確に1.5倍でなく、1.4983倍に「変換」される。つまり「五度」の方をオクターブに合うように切り詰めた(圧縮した)のである。音階はもはや「五度」とオクターブの間でどこか「たるんで」いるものではなくなった。

  72. かくて音階空間は均質化され、かつて相互に移行不能であったあらゆる調に転調が可能となった。

  73. 移調、転回、逆行、拡大といった音楽的操作は、実のところ「楽譜」を一つのグラフ(図形)=幾何学的対象とみるところの、平行移動、対称変換、アフィン変換、相似変換といった幾何学的変換に対応している。

  74. これはつまり、デカルト幾何の先駆である近代記譜法によって、すでに「(均質空間での)幾何学的表現」を手にしていた音楽が、ようやく「幾何学的本質」を獲得できるような(その表現空間と同じく)「均質空間」に引き移されたということだ。

  75. この純正律より「低い」、引き縮められた、「均質な」音階空間を平均律と呼ぶ。

  76. ピタゴラスには、数がすべてのものの原理(アルケー)であり、万物の本性は数の本性に還元されると考えられた。

  77. ピタゴラスが発見したように、音楽は音の無秩序な連続ではない。「無限定なもの(音)」το απειρονが、「限定(比;ロゴス)」περαsが加わることによって、「限定されたもの」το πεπερασμενονができる。これが(一定の比例関係によって限定された;分節された/故に調和された)音階(ハルモニア)αρμνιαである。

  78. 同じ原理が万物を支配する。「限定(比;ロゴス)」περαsによって、「無限定なもの(音)」το απειρονを限定するところに、世界が成立する。世界は決して無秩序な全体、混沌(カオス)χαοsでなく、一定の比(ロゴス)περαsによって、調和(ハルモニア)αρμνιαを保持している。ピタゴラスはこれをコスモスκοσμοs=世界・宇宙と呼んだ。

  79. 調和(ハルモニア)はすなわち音階(ハルモニア)であり、故に宇宙(コスモス)の運行は音階の進行(メロディ)である。宇宙(コスモス)は、ロゴスによって調和(ハルモニア)を保持し、それによって、我々の粗雑な耳には達しないが、精妙な音楽(天上の音楽)を奏でている。

  80. 対して、天上界は無音であるとアリストテレスは言った。

  81. ピタゴラス派によれば、「天上の音楽」は生まれたときから鳴っているのでかえって我々には聞こえないのだと主張したが、アリストテレスは、地上の小さき物が立てる音に比して、(仮にそんなものがあるとしたら(巨大な天体のたてる音はあまりに大きく、我々の耳にとどくどころか、何ものをも粉砕してしまうだろう、と反論した。(『天体論』第2巻第9章)

  82. ポアンカレは三体運動の研究からある種の「軌道」を発見するに及んだ。この定性的「力学」研究の端緒となった「軌道」こそは、ピタゴラスからニュートン、ラグランジュまで、畏敬すべき調和そのものだったあの「天上の音楽」=天体の運動からポアンカレの手によって取り出され、のちにスメールの手でその正体が明らかにされた「カオスの極限集合」であった。

  83. 「女(なんじ)は人籟(じんらい)を聞くも、未だ地籟(ちらい)を聞からざらん。女(なんじ)は地籟を聞くも、未だ天籟(てんらい)を聞からざらんかな」「敢えて其の方(ことわり)を問う」「夫(そ)れ、大塊(だいち)の噫気(おくび)は其の名を風と為(い)う。是れ唯(た)だ作(おこ)ること無きのみ。作れば則ち万(よろず)の竅(あな)激しく鳴る。而(なんじ)独り之の寥寥として遠く長く吹く声を聞かざるか」(『荘子』斉物論篇)

  84. ボエティウスは「イサゴーゲー」(ポルフュリオスによる「アリストテレス範疇論入門」)のラテン語への翻訳・注解において、「<普遍>=範疇は実在なのか、音=言葉なのか」という問題として提出した。普遍論争は、このボエティウスの問に対する種々の解答の間の対立であると言える。

  85. 「かつてさまざまな学派の哲学者の一行が、大陸の辺鄙な地方を旅行していた。彼らは質素な宿屋を見つけて食事を注文した。宿屋の亭主は牛肉の大片をだしますと約束した。ところが、出てきた肉はいかにもまずかった。

  86. ヒュームの信奉者で旅行の経験をつんでいた一人の哲学者が、亭主を呼んでこう言った。「これは牛肉じゃない、馬肉だ。」

  87. 彼はその亭主が、昔はもっと盛んに商売していたが哲学に凝ったおかげで仕事をおこたって落ちぶれた者であるとは知らなかった。それで亭主が次のように答えた時にびっくりした。

  88. 「あなたの御意見に従えば、『牛肉』と『馬肉』とはどちらも言葉にすぎず、非言語的世界における何ものをも指示しないはずであります。従って牛肉か馬肉であるかの争いはただ言葉の争いに過ぎません。もしあなたが、『馬肉』という言葉をよしとせられるのでしたらそれで結構であります。しかし私の方は『牛肉』という言葉の方を有利と考える次第でございます。」

  89. この答えを聞いてすべての哲学者がいっせいに話し始めた。ロスケリヌスの信奉者は言った。「亭主の言うところはもっともである。「『牛肉』と『馬肉』とは人間の息の発した音にすぎず、いずれの言葉もこの厭うべき硬い肉片を指示することはできぬ」
    (ラッセル『私の哲学の発展』198-199頁)

  90. ルソーの考えでは、欲求というのは人間がそれぞれに持っている自己保存、自分の生存のためのものであって、人々を結び付けるよりも、引き離すものである。人々を結び付けるのはむしろ情念なのだ。それに、もし人間に欲求(自分中心)しかなかったら、身振り言語で十分である。人間には情念があるからこそ、声を出してコミュニケーションすること(音声言語)が必要なのである。

  91. 「音楽とは、言葉を探している愛である」(シドニー・ラニアー)

  92. T=0.161V/{−Slog(1-a)}

    T:残響時間(秒)
    V:部屋容積
    S:反射面総面積
    a:反射面平均吸音率

  93. 「おれァ伊東の湯の中でうたってみたがじっさい下手だね。ちがってるのがよくわかる。耳と喉が彗星と地球みてえだ、『思へばすまぬことばかり(紙治)』とうたってまったくそう思った。彗星の軌道がゆがんでるのは地球をもとにするからなんで、人にァみんな脳髄のむきむきがある。」(幸田露伴)

  94. ヒエロニスムは、うるわしい女人の幻想と砂漠の中で闘ったことが示しているように、若いときに大いにその肉欲と闘わなければならなかったのであるが、老齢に達しては、精神的欲情と闘わねばならなかった。彼は、例えばこう述べている。
    「私は心の中で世界審判者の前にいると信じた」。
    「汝は何人なるや?」と一つの声が聞いた。
    「私はキリスト者です」と答えた。
    世界審判者は叱咤した。
    「この偽り者め。汝はただのキケロの徒だ!」
    (マルクス「資本論」)

  95. 通常大気は、地表から高度が上がるほど、温度が低くなる。温度と音速の関係式からすれば、温度が下がるほど音速も小さく、したがって高度が高いほど音速は小さくなる。この音速の違いが音波を屈折させ、すなわち音は上方へと曲がって伝わることになり(しかも高度が上がるほどその屈折ははげしくなる)、地表近くから発せられた音は遠方には伝わらない。

  96. ところが大気に逆転層(高高度が温度が高く、低高度が温度が低い層)があるとそれと逆のことが起こり、すなわち上空へ向かってすすむ音をも下方へ曲げられ、地上遠方まで音波が達することになる。

  97. この場合、音源より近いところでは音波が達せず、そこを越えた向こう側に音波が達する場合がある。つまり音が放物線を描いて伝わるので、再び地上に音波が達する地域の手前に無音帯が生まれることがあるのである。

  98. 行進の隊伍が組まれても、多くの人は知らない、列の先頭に立つやつが敵だということを。指揮をとる声は 敵の声 。敵が!敵が!とわめていているやつ、そいつこそ敵。
    (ブレヒト「ドイツ戦争案内」)

  99. ナス科の多年草マンドラゴラ(学名Mandragora officinarum)はその奇妙な根をもって知られる薬草である。有効成分として副交感神経を抑制するアトロピンを含み鎮痛薬・麻酔・そして媚薬として用いられるこの草は、しかしあまりの採集の困難さ故に市場ではたいへん高価なものであり、また偽物も多い。この草の最も薬効のあるとされる根は人間の肢体に酷似した形状をしており、引き抜くと世にも恐ろしい声で絶叫してその声を聞いた者すべてを狂死させる。

  100. ルソーは、欲求と感情、身振り言語と音声言語を、それぞれ北方と南方に振り分けるのである。寒く、自分が生きていくことそのものが大変であり重要であった北の地方。それに対して、乾燥しているために水を得る井戸を掘らねばならず、そのためには人々が協力する必要があった南方。後者においてこそ「家族の最初のきずなが結ばれ、ここで男女両性の最初の出会いがあった」のだとルソーは言う。

  101. 「ここで最初の祭が祝われ、足は喜びに飛びはね、いそいそした身振りだけではもう十分ではなく、情熱に溢れたアクセントを持った声がそれにともなったのだ。」だから南の音楽は力強いリズムを中心とする。

  102. だが、北方では、「絶えざる滅亡の危機が、身振りの言語だけに頼ることを不可能にしていた。」そこで「身体的欲求から引き出された叫び声」が生まれる。ここではリズムではなく和声が中心になる(これは、当時のフランスにおける和声中心主義的音楽(ラモー)への批判である。そして、同時に政治・社会制度への批判へと展開するものだった)。

  103. こうして、北方と南方ではそれぞれ身振り言語から音声言語が生まれるのだが、その出生は全く異なった様相をしているのだ。ルソーは言う。南方人が最初に発した声、それはaimez-moi(「私を愛して下さい」)であり、北方人が最初に出した声は、aidez-moi(「私を助けて下さい」)だったのだと。

  104. と苦沙弥先生いよいよ手製の名文を読み始める。
    「大和魂! と叫んで日本人が肺病病みのような咳をした」
    「起こし得て突兀ですね」と寒月君がほめる。
    「大和魂! と新聞屋が言う。大和魂! と掏摸(すり)が言う。大和魂が一躍して海を渡った。英国で大和魂の演説をする。ドイツで大和魂の芝居をする」
    「なるほどこりゃ天然居士以上の作だ」と今度は迷亭先生がそり返ってみせる。
    「東郷大将が大和魂を持っている。さかな屋の銀さんも大和魂を持っている。詐欺師、山師、人殺しも大和魂を持っている」
    「先生そこへ寒月も持っているとつけくわえてください」
    「大和魂はどんなものかと聞いたら、大和魂さと答えて行き過ぎた。五、六間行ってからエヘンという声が聞こえた」

  105. 日本語のナクという言葉に、(てい)だのだのを宛てたのがそもそもの失敗であった。あちらの字引を見ると、は元来眼または鼻からでる液体、もまた声無くしてその涕をだすことであって、共にサンズイを扁にしているから、音声そのものとは関係がないのである。しかるに我が国では、ナクという動詞のは、鳥にも虫にも共通であり、生類でないものにはナルといっているのと同じ語である。これこそ耳に訴える語だから表現であるが、その一方の泣にはひとりっきりの現象で、うっかりすると見過ごされてしまう。しかるにそれがいつのまにかお株を奪って、ちっとも声を立てずとも涙を出せば皆ナクと謂うことになったのは、つまりは泣の字の誤訳からである。声を立ててナク方はの字を宛てる方がよかったので、万葉集などにはこの字が多く使ってあるが、しかもその哭する場合にも涙がでるので、泣すなわち涙をこぼすことも、古くから我々はナクと謂った。そうして特に声をあげてなくことを、ネナク・ネニナクまたはネヲナクと謂って区別した。
    (柳田国男「涕泣史談」)

  106. 「福建省の新婦は夜、星空の下では外出しない。天狗(てんこう)星(音のする流星)に犯され、世継ぎの子を失うことを恐れるからである。娘の間でも、この星を忌み、流星を見るのを不吉とするのは、古の禁忌のなごりである」(「五雑類」)

  107. ぎょ【ギョ】  中国古代の楽器の一。木製で、虎が伏したような形をし、背上に二七の刻みがある。三○センチメートルばかりの竹で刻みをすって鳴らすもの。音楽を止める合図に用いた。

  108. 良心の声。予期せぬ未来からの命令、我々の自我を脱自へと導く、我々はこの声によってどこへ導かれるのだろうか、そこで我々は自分自身でいることができるのだろうか。



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