スクリプトとは「書かれたもの」と言ったくらいの意味である。手書きの文字、あ
るいは映画の/芝居の脚本、あるいはまた写本に対する原本(オリジナル)。聖書の
ことを、Bible
の他に(Holy)Scriptureと呼び、修道院に設けられた写本室、文書室(修道士達は、
そこで「聖なる言葉」を写し、また様々な「スクリプト=書物」を蓄えた)を
Scriptoriumと言う。Scripturalとは「書かれたものの、書き物の」という意味
よりもまず、「聖なる書物(聖書)に基づいた、神聖な」という意味の形容詞であ
る。
=Catalog=
朝 粥四碗 はぜの佃煮 梅干し(砂糖つけ)
昼 粥四碗 鰹のさしみ一人前 南瓜一皿 佃煮
夕 奈良茶飯四碗 なまり節(煮ても少し生にても) 茄子一皿
ぼくらは、この人がもうすぐ死ぬことを知っているので、ずっと寝たきりであるこ
とも知っているので、いくらなんでもこれは食べ過ぎじゃないかと思う。人の日記を
読んで心配する。
この頃食ひ過ぎて食後にいつも吐きかへす
二時過牛乳一合ココア交て
煎餅菓子パンなど少ばかり
昼飯後梨二つ
夕飯後梨一つ
服薬はクレオソート昼飯晩飯後各三粒(二号カプセル)
水薬 健胃剤
今日夕方大食のためにや例の左脇腹痛くてたまらず 暫くして
屁出て筋ゆるむ
ほら、みろ、とぼくらは思う。けれど、この人は少しも改めない。反省がない。
「少ばかり」とは何事か。「夕方大食のためにや例の左脇腹痛くてたまらず」。大食
のためだろうか、だって? もちろん、「ため」に決まってる。ここまでくると、こ
の人がもうすぐ死ぬことを知っているのに、「ざまあみろ」とさえ思ってしまう。
母は黙つて枕元に坐つて居られる 余はにわかに精神が変になつて
来た 「さあたまらんたまらん」「どーしやうどーしやう」と苦し
がつて少し煩悶を始める いよいよ例の如くなるか知らんと思ふと
益乱れ心地になりかけたから「たまらんたまらんどうしやうどうし
やう」と連呼すると母は「しかたがない」と静かな言葉、
それはそうだ。しかたがないのだ。自分がもうすぐ死ぬことを知っているこの人
は、この母を使いに出し、そして枕元の小刀と千枚通しに手を伸ばしてみる。ぼくら
は、この人がもうすぐ死ぬことを知っているけれど、またこのことでは死なないこと
も知っているので(なんとなれば、その後に、彼はこのことを日記に書いたのだか
ら)、この人の日記を淡々と読み進める。死は来ない、けれど遠くはない。
(引用:正岡子規『仰臥漫録』)
アスクレピオスは、オリュンポス十二神のひとりアポロンの息子にして、ケンタウ ロス族の賢者として名高いケイロンの教え子である癒し(医学)の神。今もあちらの 処方箋にすみに描かれる二匹の蛇の絡まる一本の杖、カドゥケウスはヘルメス(メル クリウス)の杖だが(もともとは彼がアポロンからゆずりうけたものだ)、アスクレ ピオスの杖は一匹の蛇の絡まっている。
「癒しの神アポロンとアスクレピオスとヒュギエイアとパナケイア、そしてすべて の男性神と女性神の前で、私は自分の技能と判断力を駆使してこの誓約を守ることを 誓います」(ヒポクラテスの誓い)
なお、雄鶏は密議参入者が最初に捧げる供物である。
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般 羯 多 呪 多 得 想 罫 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観 摩 若 諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自 訶 心 羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在 般 経 諦 説 一 神 多 涅 罫 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩 若 波 呪 切 呪 羅 槃 礙 提 尽 無 意 是 是 是 一 薩 波 羅 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行 羅 羯 真 大 藐 世 無 唾 苦 明 色 空 法 空 苦 深 蜜 諦 実 明 三 諸 有 依 集 亦 声 中 空 即 厄 般 多 波 不 呪 菩 仏 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若 心 羅 虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波 経 僧 故 無 故 般 遠 波 無 明 触 無 生 受 子 羅 羯 説 上 知 若 離 羅 智 尽 法 受 不 想 色 蜜 諦 般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多 菩 若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時 提 波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照 娑 羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見 婆 蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五 訶
このように言うのがふさわしい。われわれはコンピュータに似た思考システムにおけ るメモリー・コイル(DNA担体は経験する能力を有する)であるように思える。わ れわれは数千年に亘る経験的情報を正確に記録し蓄積するし、われわれの各々は他の 生命体すべてからのいささか異なった蓄積物を所有するが、記憶回復の不調 --- 欠 陥 ---が存在する。ここにわれわれ独自の副サーキットにおける問題が潜んでいる。 グノーシス ---さらにふさわしい言葉を使うなら想起(忘却の喪失) --- による救 済が必要である。われわれ各自にとって個別的な意味を持っているが、不死をも含め た、知覚、自我、認識、理解、世界体験、自己体験における量子的跳躍が必要なので ある。これらの記憶はシステムにとって、システムの総合的な機能にとって価値があ り必要とされるデータなので、グノーシスによる救済もしくは量子的跳躍はシステム にとってさらなる重要性を有する。48
したがってこれは目下、自己修復の過程にあり、その過程には次のものが含まれる。 線形的そして直交的時間の変化により、われわれの副サーキットを作り直すこと、な らびにわれわれの内にある閉塞したメモリー・バンクが始動して内容物が回収できる よう刺激するため、絶えずわれわれに信号を送りつづけることである。
外的情報もしくはグノーシスは、事実われわれに本来備わっている中心的内容物を有 する脱抑止的指示から成り立っている(これを最初に認めたのはプラトンである。プ ラトンは「学習とは一種の回想である」と言っている)。
古代人は、主として個人にとっての回復的価値の意味合いでもって、原始キリスト教 も含め、もっぱらグレコ・ローマンの神秘宗教で用いられた、点火と回収のための技 術(秘蹟と典礼)を有していた。しかしグノーシス主義者達は、彼らの言う〈神性〉 すなわち絶対的実体にとっての本来的な価値を、正確に知悉していた。
二つの領域が存在する。上なる領域と下なる領域が。上なる領域は超越宇宙Iもしく は陽から由来し、パルメニデスの形態Iであって、知覚力、意志を有す。下なる領域 は陰から由来し、パルメニデスの形態IIであり、機械的であって、盲目の効率的な 因に駆動され、死せる源から流出するゆえに、決定論的にして知性を有しない。太古 には『天界の決定論』と名付けられた。われわれは概して下なる領域に捕らわれてい るが、秘蹟を通じ、プラステマによって救われる。天界の決定論が破られるまで、わ れわれはそのことに気づきもせぬので、われわれは閉塞している。〈帝国〉は終滅す ることがない。49
双子のうち健康な方、超越宇宙Iの名前はノンモである。病んだ方、超越宇宙IIの 名前はユルグである。これらの名前はアフリカの西スーダンのドゴン族に知られてい る。……
つまりレシピはたべられないし、料理は失敗しないとは限らない。