スクリプト

SCRIPT

 スクリプトとは「書かれたもの」と言ったくらいの意味である。手書きの文字、あ るいは映画の/芝居の脚本、あるいはまた写本に対する原本(オリジナル)。聖書の ことを、Bible の他に(Holy)Scriptureと呼び、修道院に設けられた写本室、文書室(修道士達は、 そこで「聖なる言葉」を写し、また様々な「スクリプト=書物」を蓄えた)を Scriptoriumと言う。Scripturalとは「書かれたものの、書き物の」という意味 よりもまず、「聖なる書物(聖書)に基づいた、神聖な」という意味の形容詞であ る。


=Catalog=

  1. 文字
     漢字については、あまりに有名な白川静の著作を参考にすること(→その他の文字については )。
    「不変とされる「真(眞)」とは、もとは変死者の姿である。上部は「化」、すでに 化したるもので、その下の「県」は倒の首、頭髪が下にたなびく死者の頭である」

  2. 文学
     人間の歴史の中に現われた何万という言語の内で、「文学」を持つ程までに文字に 没入した言語は106しかない。
    さらに、現在話さ れている3000の言語のうちで「文学」を持っているのは、わずかに78の言 語にすぎない。
    (オング、エマーソン)

  3. (一冊の)書物−マラルメ
     これにみんなかいてある

  4. (複数の)書物
     「書物は、世界は変わるのにそれ自身は変わらないという事実によって変わる」 (ブルデュー+シャルチエ)

  5. 辞書
     あのGEMの辞書でCrossWordDictionaryというのがある。待 ち針の頭みたいに小さいアルファベットが、すきまなくページに並んでいる。どうや らアルファベット順に配置されているが、それはaをbにcをdにと少しずつずらし ながらゆっくり英単語の大海を進んでいくかのようである。これが英語の切断面だと 言われても信じてしまいそうだ。魔法の呪文書のようでもある。もちろん、意味など 載っていない。単語の頭、二つ目、あるいは真ん中、最後の文字だけがわかっている という特殊な状況の下、有意な文字列=単語を捜す(どんな意味かは問わない)とい う特殊な検索にのみ有効な辞書である。これと相対なのが、たとえばRoget’s Th esaurus。文字のグラデーションに対して、意味のグラデーション。

  6. 百科事典
     グノーシス以来のパン ソフィア(汎知学)。あるいは充実性への偏執狂。すなわち、世界は有限であり、世 界は数え上げられ、世界は透き間なく充実している。我々はそれらを整理整頓分類 し、残らずラベルを張り付けて、万が一にも空いている片隅には、人間の作ったもの 考えたものであっても構わないからぎっしり詰め込んでしまおうという仕事。常に未 完成で、それゆえ関わるものをますます偏執的にさせる。

  7. タロット−大アルカナ、小アルカナ
     アレキサンドリアの大図書館の炎上の後、一箇所に集積され分類され格納された古 代知は、「古典」としては、それ故にほとんど残らず失われてしまった。
     そして放浪する人たちの間で保持された、数十枚のカードに圧縮され古代知/ある いはポスト・ライブラリ時代の、「失われた知」への携帯用インデクス(または記憶 装置)としてのタロット

  8. 地図
     地図には、縮尺がある。
     かつて実物大の地図を作ろうとしたものがいたが、その試みが妄想であるのは、経 済的な理由からではなく、それが地図のひとつの(恐らく本質的な)特性を欠くもの だからである。
     版図を一望すること。

  9. 歴史(記憶)
     社会的な歴史の根拠は、人間それ自体の生の在り方に起因する。歴史学が可能とな るのは我々が誕生から死にいたるまでの「間」の存在として歴史を持つからである。 我々は、現在の自己をこの自身の歴史つまり「記憶」によって規定されている。自由 とはこの固定された自己の歴史を耐えず解きほぐし、新たな意味を産出していくこと にほかならない。しかし、悪しき解釈も存在する。フロイトによれば現在の自己は誕 生以来の幼児体験によって規定されている。現在の我々にとって自由なものはない。

  10. 注釈
     物事を解釈するより、さまざまな解釈を解釈するほうに忙しい。そして本について の本のほうが、他の事柄についての本よりも多い。われわれは解説し合うことしかし ていない。なにについても注釈がたくさんあるが、作家はまったく欠乏している。

  11. 作家/読者
     「作家たちは固有の場の創立者であり、古来からの勤労を引き継いで言語という土 壌を耕す後継者であり、井戸を掘り家を建てる者たちだが、そんな作家たちから遥か 遠く、読者たちは旅人である。他者の土地を駆けめぐる彼らは、自分が書いたのでは ない領野で密猟をはたらく遊牧民であり、エジプトの財をかっぱらっては好きなよう に楽しむのだ。エクリチュールは蓄積し、ものを貯蔵し、場所を確立することによっ て時間にあらがい、再生産という拡張主義によって生産の増大をはかろうとする。読 むことは時間の摩擦から身を守ろうとせず(ひとは我を忘れ、そして読んだものを忘 れる)、自分の獲得したものを保存しないし、保存したところでいいかげんで、それ が通り過ぎてゆく場はひとつひとつが失楽園のくりかえしなのだ」
    (ミシェル・ド・セルトー『日常的実践のポイエティーク』)

  12. 自叙伝

  13. 民族誌(エスノグラフィ)

  14. 日記
     ぼくらは、この人がもうすぐ死ぬことを知っているのだが、それはこの人だってち ゃんと知っているのだが、それでもこの人は生きていて、だからモノを食べて、脱糞 して、イタズラを考え、看病してくれている妹を「冷淡だ」「強情だ」「同情同感な き木石の如き女なり」とののしり、母親に「たまらん、たまらん」と叫び、日記を書 く。

    朝 粥四碗 はぜの佃煮 梅干し(砂糖つけ)
    昼 粥四碗 鰹のさしみ一人前 南瓜一皿 佃煮
    夕 奈良茶飯四碗 なまり節(煮ても少し生にても) 茄子一皿

     ぼくらは、この人がもうすぐ死ぬことを知っているので、ずっと寝たきりであるこ とも知っているので、いくらなんでもこれは食べ過ぎじゃないかと思う。人の日記を 読んで心配する。

    この頃食ひ過ぎて食後にいつも吐きかへす
     二時過牛乳一合ココア交て
      煎餅菓子パンなど少ばかり
     昼飯後梨二つ
     夕飯後梨一つ
    服薬はクレオソート昼飯晩飯後各三粒(二号カプセル)
     水薬 健胃剤
    今日夕方大食のためにや例の左脇腹痛くてたまらず 暫くして
    屁出て筋ゆるむ

     ほら、みろ、とぼくらは思う。けれど、この人は少しも改めない。反省がない。 「少ばかり」とは何事か。「夕方大食のためにや例の左脇腹痛くてたまらず」。大食 のためだろうか、だって? もちろん、「ため」に決まってる。ここまでくると、こ の人がもうすぐ死ぬことを知っているのに、「ざまあみろ」とさえ思ってしまう。

    母は黙つて枕元に坐つて居られる 余はにわかに精神が変になつて
    来た 「さあたまらんたまらん」「どーしやうどーしやう」と苦し
    がつて少し煩悶を始める いよいよ例の如くなるか知らんと思ふと
    益乱れ心地になりかけたから「たまらんたまらんどうしやうどうし
    やう」と連呼すると母は「しかたがない」と静かな言葉、

     それはそうだ。しかたがないのだ。自分がもうすぐ死ぬことを知っているこの人 は、この母を使いに出し、そして枕元の小刀と千枚通しに手を伸ばしてみる。ぼくら は、この人がもうすぐ死ぬことを知っているけれど、またこのことでは死なないこと も知っているので(なんとなれば、その後に、彼はこのことを日記に書いたのだか ら)、この人の日記を淡々と読み進める。死は来ない、けれど遠くはない。

    (引用:正岡子規『仰臥漫録』)

  15. 手紙
     「知的生命はなぜ我々にメッセージを送ってこないんでしょう?」
    「その悩みは、そのまま思春期の悩みだと思わない?」リンダは云った。「遠くから 女の子を見つめていたことはない? ただ見つめているだけなのに、コミュニケーシ ョンしているつもりになってしまう。そして、むこうはこちらの名前すら知らないの に、何故思いが通じないのだろうと思ってしまう。ぼくは彼女が何時のバスに乗る か、どの教科が得意で、友達とどこで昼食を食べるか知っているのに。ぼくは彼女の 家までの道順をそらで云えるのに。ぼくは彼女の好物を知っていて、絵が上手なこと を知っていて、合唱コンクールの何列目の何番にいたかまで知っているのに、なんで あの娘はぼくのことを知らないのだろう----とね」
     「なぜコンタクトしてこないのか? 我々がコンタクトをしようとしたかどうかに その答えはあるでしょう。オズマ計画のように、教室の窓からグラウンドの彼女を見 つめていたことはあるわ。でも彼女に話しかけたことはある? 電話はおろか、手紙 だって書いたことがない」
    「でもボイジャーは?」
    「あの気取った判じ物? あんなもの、ヒマラヤの山頂にいる友人に届けと念じて、 ミシシッピに瓶を流すようなものよ」
    (水見稜『マインド・イーター』)

  16. 法律
    「抗争する人間相互の利害の調整として法一般は立ち現れてくる」
    「法的協定は、当事者たちによってどんなに平穏に結ばれようとも、けっきょくは暴 力の可能性につながっている。というわけは、相手が協定を破るばあいは、なんらか の暴力を相手にたいして用いる権利を、双方がもつからだ。」
    「この法秩序は、個人の目的が暴力をもって合目的的に追求されうるようなすべての 領域に、まさに法的暴力のみがそれなりのしかたで実現しうる法的目的を、設定する ことを迫るのだ。」
    「法はおのれの法的目的と衝突する市民の自然目的に向け、法維持的暴力を<監獄と 警察>という合法的な暴力装置をもって行使する。」
    「警察においては、「法措定的暴力と法維持的暴力との分離がなくされて」いる。こ れによって警察は、みずから合法性を定義する無限の暴力となる。」
    (ベンヤミ ン『暴力批判論』)

  17. 遺言
     「クリトンよ、わたしはアスクレピオスに雄鶏を一羽もらっている。忘れずにその 借りを返してくれ」(ソクラテス最後の言葉)。
     アスクレピオスは、オリュンポス十二神のひとりアポロンの息子にして、ケンタウ ロス族の賢者として名高いケイロンの教え子である癒し(医学)の神。今もあちらの 処方箋にすみに描かれる二匹の蛇の絡まる一本の杖、カドゥケウスはヘルメス(メル クリウス)の杖だが(もともとは彼がアポロンからゆずりうけたものだ)、アスクレ ピオスの杖は一匹の蛇の絡まっている。
     「癒しの神アポロンとアスクレピオスとヒュギエイアとパナケイア、そしてすべて の男性神と女性神の前で、私は自分の技能と判断力を駆使してこの誓約を守ることを 誓います」(ヒポクラテスの誓い)

     なお、雄鶏は密議参入者が最初に捧げる供物である。

  18. 暗号
     FHXXGHYFVVICKNOWIVNXMVNXVKOYICKNOGOQ
     IYVVOFKKDOCKRXCOGOHAOOVFCGKNIAKOOCJI
     CZKOVCXAKNOFVKFCGWRCXAKNJFICWAFCPNVO
     QOCKNYIJWOFVKVIGOVNXXKUAXJKNOYOUKORO
     XUKNOGOFKNVNOFGFWOOYICOUAXJKNOKAOOKN
     AXZHNKNOVNXKUIUKRUOOKXZK

  19. 法典
     現在の条文は、(藤原不比等の)養老典の文体を継承している。

  20. シナリオ
     「……あれは、目印なのです。とりわけ映画づくりのための目印なのです。みんな に、よく知られた目印をたどらせるためのもの……みんなに、自分たちが撮っている のはこれこれの映画であって、別の映画ではないということを確信させるためのもの なのです。それはそれで、何かの役には立つわけです。
     そしてそうしたものが必要になるのは、一緒に撮影している人たちの間にどんな結 びつきもないからです。みんなが、自分たちはトマス・ハーディの小説の脚色をポラ ンスキーの映画として撮っているのだということを確信する必要があるわけです…… ハンフリー・ボガードといった名前の俳優が主演する映画を撮っているわけじゃない ということを確信する必要があるわけです。ということはまた、みんなの間に、映画 づくりのうえでの一時的な結びつき以外には、どんな結びつきもないということで す。それに対し、より少ない人数で映画を撮る場合は、たとえそれまでは会ったこと のない者どうしであっても、互いにもっと知り合うことができます。ミュージシャン の場合のようなものです。
     それにミュージシャンは台本などというものはもっていません。いくつかのメロデ ィを記したノートをもっているだけで、しかも、それにしたがうときもあれば、した がわないときもあります。それでも、たとえばボブ・ディランは、自分のプロダクシ ョンに前金を要求するときも、《いいよ、でもその前に……、台本はできてるかね ?》などと言われたりはしないのです。私が言いたいのは、彼には(台本がなくて も)人々に何か聞かせることができるということです……」
    (ジャン=リック・ゴダール『映画史』)

  21. 命令
     通常「コミュニケーション」と呼ばれるモノのこと

  22. 物語(その1)
     「詩の要約はその詩の自己同一性を消失させてしまうが、「これに反して物語の要 約は(構造的基準にしたがっておこなわれるかぎり)メッセージの個性を保つ。言い 換えれば、物語は翻訳可能であって、根本的被害を被らないのだ。」(ロラン・バル ト)

  23. 物語(その2)
     越境の神ヘルメスは、天上界と地上界の境を越えることから、神(ゼウス)の使い であり、また天上から火を盗んだ人間たちへの不幸の贈り物(パンドラ)を送り届け たのも、また愛の神エロスのところへ花嫁プシュケ(彼女はPSYCO−の語源とな る、「心」という意味の名を持つ娘です)を連れていったのも彼でした。あるいは地 上界と冥界の境を越えることから、死せる魂を地獄の番人カローンに引き渡すのも、 冥界の王ハデスに嫁いだ女神ペルセフォネにつかのまの里帰りをさせるのに、地上へ の案内人の役をはたすのも、またヘルメスでした。
     国境を越えることから旅の守り神になり、共同体の境を越えることから商業(経 済)の神ともなりました(カール・マルクスたちが『ドイツ・イデオロギー』でも触 れているように、経済は共同体の外=境界で「生まれ」ました)。「自分」と「自分 以外」の境さえもやすやすと越える彼は、また変身変化する神でもありましたし、こ のことが錬金術に必須の物質 水銀と彼とを結びつけている点の一つでした。
     そしてもうひとつだけ、それら彼の能力どれもに関わりながら、そのどれでもない 彼のあの特性に触れたくなります。それがヘルメスのように、いくつもの「境」を越 えていこうという私たちの「導き」になるかどうかわかりませんが、とにかく次のこ とを覚えておきたいと思います。すなわちフィクションとノンフィクションの境を越 える能力、物語ることで現実の苦境を脱するという、彼のあの得意技のことです……

  24. 伝票・簿記
     複式帳簿の考えは、ちょうど解析力学の先駆になっています(実のところスケープ ゴート理論すら、「振替勘定」でまんま説明できるのです)。力学では、力が加速度 を生み、物体を動かしますが、対象となっている物体が増えると、多数の物体がてん でばらばらに動き回るのを考えなければならないので、大変です。そこで、ある力に は、それと同じ大きさで無期が正反対の「慣性力」という影の力が拮抗していること にします(これをダランベールの原理といいます)。あらゆる力は釣り合わせて、動 力学を静力学に変換します。力学を、物体の運動の学ではなく、力の釣合の学にする わけです。これが解析力学で、実際の力学の問題は、ニュートンの仕方では手間がか かってやってられないので、このようにするわけです。
     たとえば家計簿は「現金」が今どれだけあるかを記録します。収入があれば「現 金」が増え、例えば買物をしたりして支出があれば「現金」が減るわけです。ところ がどこかから借りてくれば「現金」は増えるし、貸し出せば(手持ちの)「現金」は 減ります。ある項目だけに注目していては、他の項目との関連があやしくなり、たと えば適当な資材の配分が必要なのに、「現金」だけが増えることを喜ぶことになりま す(それなら後先考えず「現金」を借りまくればいいわけです)。「現金」の増加 (あるいは減少)は、お金をドブに捨てたりしない限り、他の項目(たとえば商品、 預金、貸借)の減少(あるいは増加)と結び付いています。他の項目についても同じ 事です。
     いかなる場合でも、ある項目の変化を、他の項目の正反対の変化でバランスさせる のが、複式帳簿です。資産の増加には、他の資産の減少か負債の増加か資本の増加か 収益の発生が対応します。資産が増加するのに、負債や資本や収益が増加するのは、 負債や資本や収益が、資産とは正反対の項目だからです。複式帳簿はダランベールの 原理のように、勘定帳簿を静力学化します。

  25. 書類
     マックス・ウェーバーの官僚制の理念形は抽象度が足りない。
     すべては、書類の運動によって規定されるのだ(様々な書類のライフサイクル)。
     たとえば職種のヒエラルキーは、書類の生存範囲(スコープ:この成文化が組織の 明文的規定となる)の重層構造だし、それによって「仕事」の重要度は評価される。
     成文化は書類において為される。
     何よりも、組織が組織たること(組織のクラス・アイデンディディ)、組織に永続 性(一貫性)と一体性を持たせる手段は、書類による。何故か? 「書かれたもの」 は、他(の組織)に見せることができるからだ(これは無論、未来の自「組織」に見 せることが可能ということも含む)。
     組織形成は、書類の運動のおおまかな規定によってのみ可能である。それでは組織 の実質は作れないと?否、そんなものを無理に作ろうとすれば機能不全に陥る。たか だか書類であることが重要なのだ。
     書類は、組織の血液である(貨幣が文明の血液であるように )。それはただ利便のために現れ、そして逆に組織を完全に支配する(貨幣とおなじ ように)。書類は書類のために増殖する(貨幣とおなじように)。組織は「たかだか 書類」を軽んじるが、いざ事が起これば途端に書類に立ち戻るのだ(貨幣とおなじよ うに/人は恐慌=貨幣の価値が瓦解するとき、貨幣をかき集めようとする)。「どう 書いてあるのか?」と。「先例」とは書類のことに過ぎない。組織は「記憶」を持た ない。あるのは立ち戻るべき(常に書き「残される」)書類だけだ。

  26. パスワード

  27. うらない
     「占星術と手相術ですが、どちらも人々をいきいきさせ、可能性を満たすという点 で結構なものです。それらは最上のコミュニズムです。だれにでも誕生日があり、た いていの人には手のひらがあります」(K.ヴォネガット)

  28. 世界
     「世界とは、いくつもの意味を含んだひとつの文章である。人は、苦労をしなが ら、意味をひとつひとつつかまえて行くのだ。その苦労には、いつも肉体をあずか る。外国語のアルファベットを学ぶときのようにだ。そのアルファベットは文字をな んども書いているうちに、手の中へくいこんでしまわなければならない。こういうこ とを除いたら、単に思考の方法をどんなに変えてみたところで、幻想にすぎない。」
    (シモーヌ・ヴェイユ「重力と恩寵」)

  29. 神話
     「神様は人間を作るとき、最初は焼きすぎてしまって〈黒い人間〉ができてしまっ た。2回目は早く取り出しすぎて〈白い人間〉ができてしまった。3回目はちょうど いい火加減で焼けたので〈黄色い人間〉ができた。だから最後の〈黄色い人間〉が完 全な人間である」(あるインディアンの神話より)

  30. 経典(その1)
       般  羯 多 呪 多 得 想 罫 所 亦 無 耳 不 是 異 蘊 観  摩
       若  諦 呪 能 是 阿 究 礙 得 無 意 鼻 増 舎 色 皆 自  訶
       心  羯 即 除 大 耨 竟 無 故 老 識 舌 不 利 色 空 在  般
       経  諦 説 一 神 多 涅 罫 菩 死 界 身 減 子 即 度 菩  若
           波 呪 切 呪 羅 槃 礙 提 尽 無 意 是 是 是 一 薩  波
           羅 曰 苦 是 三 三 故 薩 無 無 無 故 諸 空 切 行  羅
           羯    真 大 藐 世 無 唾 苦 明 色 空 法 空 苦 深  蜜
           諦    実 明 三 諸 有 依 集 亦 声 中 空 即 厄 般  多
           波    不 呪 菩 仏 恐 般 滅 無 香 無 相 是 舎 若  心
           羅    虚 是 提 依 怖 若 道 無 味 色 不 色 利 波  経
           僧    故 無 故 般 遠 波 無 明 触 無 生 受 子 羅
           羯    説 上 知 若 離 羅 智 尽 法 受 不 想 色 蜜
           諦    般 呪 般 波 一 蜜 亦 乃 無 想 滅 行 不 多
           菩    若 是 若 羅 切 多 無 至 眼 行 不 識 異 時
           提    波 無 波 蜜 顛 故 得 無 界 識 垢 亦 空 照
           娑    羅 等 羅 多 倒 心 以 老 乃 無 不 復 空 見
           婆    蜜 等 蜜 故 夢 無 無 死 至 眼 浄 如 不 五
           訶
    

  31. 経典(その2)
    ……
    48 われわれの本質について
    このように言うのがふさわしい。われわれはコンピュータに似た思考システムにおけ るメモリー・コイル(DNA担体は経験する能力を有する)であるように思える。わ れわれは数千年に亘る経験的情報を正確に記録し蓄積するし、われわれの各々は他の 生命体すべてからのいささか異なった蓄積物を所有するが、記憶回復の不調 --- 欠 陥 ---が存在する。ここにわれわれ独自の副サーキットにおける問題が潜んでいる。 グノーシス ---さらにふさわしい言葉を使うなら想起(忘却の喪失) --- による救 済が必要である。われわれ各自にとって個別的な意味を持っているが、不死をも含め た、知覚、自我、認識、理解、世界体験、自己体験における量子的跳躍が必要なので ある。これらの記憶はシステムにとって、システムの総合的な機能にとって価値があ り必要とされるデータなので、グノーシスによる救済もしくは量子的跳躍はシステム にとってさらなる重要性を有する。
    したがってこれは目下、自己修復の過程にあり、その過程には次のものが含まれる。 線形的そして直交的時間の変化により、われわれの副サーキットを作り直すこと、な らびにわれわれの内にある閉塞したメモリー・バンクが始動して内容物が回収できる よう刺激するため、絶えずわれわれに信号を送りつづけることである。
    外的情報もしくはグノーシスは、事実われわれに本来備わっている中心的内容物を有 する脱抑止的指示から成り立っている(これを最初に認めたのはプラトンである。プ ラトンは「学習とは一種の回想である」と言っている)。
    古代人は、主として個人にとっての回復的価値の意味合いでもって、原始キリスト教 も含め、もっぱらグレコ・ローマンの神秘宗教で用いられた、点火と回収のための技 術(秘蹟と典礼)を有していた。しかしグノーシス主義者達は、彼らの言う〈神性〉 すなわち絶対的実体にとっての本来的な価値を、正確に知悉していた。
    48
    二つの領域が存在する。上なる領域と下なる領域が。上なる領域は超越宇宙Iもしく は陽から由来し、パルメニデスの形態Iであって、知覚力、意志を有す。下なる領域 は陰から由来し、パルメニデスの形態IIであり、機械的であって、盲目の効率的な 因に駆動され、死せる源から流出するゆえに、決定論的にして知性を有しない。太古 には『天界の決定論』と名付けられた。われわれは概して下なる領域に捕らわれてい るが、秘蹟を通じ、プラステマによって救われる。天界の決定論が破られるまで、わ れわれはそのことに気づきもせぬので、われわれは閉塞している。〈帝国〉は終滅す ることがない。
    49
    双子のうち健康な方、超越宇宙Iの名前はノンモである。病んだ方、超越宇宙IIの 名前はユルグである。これらの名前はアフリカの西スーダンのドゴン族に知られてい る。
    ……
    (Tractates Cryptica Scriptura)

  32. (測定された)宇宙
     unus=one、vertere=turn。
    任意の与えられた(あるいは魅惑せしめられた)宇宙universeは、「一回の折り返 し」を為した結果として見られたものであり、それゆえ任意の最初の区別の現れであ り、現れるものと現れないものを含む全体の存在all beingの単なる副次的な側面な のです。宇宙の個別性は、可視性のために我々が払った対価です。
    スペンサー・ブラウン 『形式の法則』

  33. 遺伝子
     〈遺伝子にはある生物を特定する「情報」がふくまれている〉というわれるのを、 ぼくらはしばしば耳にしてきた。このいいかたは、ふたつの基本的理由によってまち がいだ。
     第一に、これは遺伝という《現象》と、世代を超えて大きな構造的安定性(その 「かたち」が変わらないということ)を見せる細胞のある種の構成要素(ここではも ちろんDNAのことをいってる)の《複製メカニズム》とを、混同しているから。
     第二に、DNAはある生物を特定するなにかをふくんでいるとぼくらがいうとき、 ぼくらはこの構成要素(それはオートポイエーシス(自己創出作用)のネットワーク の一部だ)がネットワークの他の部分とのあいだにもつ相互的連関を無視しているか らだ。ある一つの細胞の特性を構成し特定するのは、相互作用ネットワークの全体で あり、その構成要素のどれかひとつなのではない。遺伝子と呼ばれる構成要素内部で の変化が、構造にドラマティックな影響を及ぼすことは、まったくたしかだ。ただ、 〈本質的な役割をはたす〉といことと〈それが唯一の決 定要因だ〉ということを混同するところに、あやまちがある。これとおな じようにして、ある国の歴史を決定するのはその政治体制だということだってでき る。そしてそんないいかたは、あきらかにばかげている。いかなる国の歴史において も政治体制は本質的な構成要素ではあるものの、政治体制にはその国の歴史を特定す る「情報」なんてふくまれてはいない。
    (マトゥラーナ+ヴァレラ『知恵の樹』)

  34. (利己的な)遺伝子  E.O.ウィルソンという人だそうですが、その名も『社会生物学』という、邦訳 だと5巻もある大きな本で、カミュの「不条理は死を命じるか?」という議論をとり あげ「無味乾燥」だと扱き下ろし、「生物は、より多くのDNAをつくるためのDN Aの一手段にすぎない」ととどめを刺しているそうです。「文学」にケンカ売ってま す。余計なことですがウィルソン先生だってもちろん大まじめです。
    遺伝子レベルで、「利己的」だの、「戦略」だの、あたかも遺伝子が意思を持ってる みたいな《擬人法的表現》を「密輸入」しといて、それで「人間の行動」まで説明で きるんだぜってのは、ずるいというより、ただレトリックのトリック的使用、ようす るに言語詐欺、「程度の低い文学」じゃないか、と悪態つきたい訳でもありません。 じつのところローレンツ博士だって、動物を観察して、彼らの行動に「恋愛」やら何 やら、「人間がしてること」を見出していったのですから(それは博士の動物たちへ の「愛」故にです)。その成果たる動物行動学が、今度は「人間という動物」の行動 も説明するというのは、あたりまえです、ループです。

  35. (化学の)分子式

  36. 方程式

  37. 楽譜
     「五線譜」が、文字の表記する記譜法に比べて優れている点の一つは、和声への対 応です。同時に鳴る複数の音、途中で止む音、途中から重なってくる音……。単音旋 律の時には大差なかった両者の「表現力」は、いざ旋律がポリフォニー化し「言語の 線状性」を越えてしまうと、俄然「五線譜」の方が優勢となります(事実、五線譜記 法の成立〜発展は、対位法などの技法の発展と密接に結び付いています)。
     もうひとつ、これは「優位性」とは言えませんが、西洋音楽におけるさまざまな 「操作」−移調、転回、逆行、拡大などは、決して「音」について自然な操作ではあ りませんが、五線譜を「グラフ」と見立てたところの単純な幾何学的変換−平行移動 ・対称変換・アフィン変換、相似変換に対応します。「音」を幾何学的対象とするこ とを、この記譜法は可能にします。

  38. (料理の)レシピ
     《音》は、見えないし、残らない。
     《文字》は、見えるし、残る。
     けれど、その《意味》はちゃんと再現されるとは限らない。ここに解読の必要と、 誤読の必然が存する。

     つまりレシピはたべられないし、料理は失敗しないとは限らない。

  39. (数学の)証明
     「証明とは、その結果が証明されるべき命題であるようなある計算である。計算す ることと考えることは一つである」(ノヴァーリス)

  40. 幾何学(その1)
     (証明された)幾何学の定理や、あるいは幾何学の対象の性質は、特定の地域や歴 史に左右されることのない客観性を有すると言われるだろう。それはそれら幾何学的 対象が、我々の特定の経験にされるものでないこと、すなわち経験的対象であるとい うよりむしろ、理念的対象性を有するということである。  幾何学的対象がもつ理念的対象性は、個々の現前(経験)にとどまる限りでは、成 立しない。それは「書かれる」ことが必要なのだ。誰にとっても正しいこと。共同主 観から客観へ至る道程、そして歴史(時間)を越える道程。
     何よりも再現の可能性、他なるものにとって「書かれたもの」が解凍(再現)可能 であるということ。それは他者との了解(共同主観性)のみならず、「意識」それ自 身においては、さっきの意識と今の意識での「同一性」の可能性でもある。つまり 「意識」なるものは、常に亀裂と断絶を抱える(そしてそれを埋め合わすべく続けら れる)不断の書記行為に他ならない。

  41. 幾何学(その2)
     プラトンは数学者ではなかったが、その理解者ではあった。
     彼はアテナイで、幾何学を流行らせた。アテナイ人は、こぞって砂浜に出かけ、思 い思いの図形を、証明を、砂の上に書き散らかすのだった。それはもうすごいものだ った。流行はアテナイ中を巻き込み、砂浜で舞い上がった砂塵が町にも降り注いだ。 町中が砂におおわれた。
     これが後に言う「アテナイの幾何学公害」である。

  42. チューリングマシンのテープ
     以前には、コンピュータのプログラミングは、「テーピング」と呼ばれた。一次元 構造をもつ記述に《すべて》が可能であること、言い換えれば、あらゆることは(手 間を惜しみさえしなければ)、《すべて》は一次元構造(テープ)の上に「書き込む こと」が可能であるということ。そもそも我々の言語が、一次元構造を持つというこ と。

  43. (コンピュータの)プログラム
     たとえばチェスをやるためのプログラムは、みずからの手腕を発揮するのに実際に どのコンピュータを使うなどといったことには口やかましくない。(ドーキンス)

……

∞.図書館
 図書館といえば、ボルヘスの住みかであったが、それは物事の一面に過ぎ ない。Scriptoriumは文書室であると同時に、写本室であった。そして鏡こそボルヘ スの天敵でなかったか。図書館は(無限の)「宇宙」であると同時に、それを(無限 に)増やす続ける「鏡」である。


inserted by FC2 system