プロトリテラ:「作者」の出自

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 プロトリテラ(前文学史)
  第3回 「作者」の出自
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 「作者」が、あるいは文学著作権が登場したのは、直接には、「出版特認」を剥奪されそうになった出版業者が、その対抗手段としてそれらを持ち出してきた時だった。「出版特認」は従来国王から書物の販売特許として与えられ、これまでロンドンやパリの出版業者に利益をもたらしてきたものだったが、イギリスでは1709年に「アン女王の法令」と呼ばれる法律によって、この独占販売体制に対する攻撃がはじまる。そしてフランスでも1760年代に入って「出版特認」の延長廃止をめぐる動きが激しくなった。この危機に対しパリの出版業者は、イギリスのヤングやドイツのヘルダーと共にこの時代最も戦闘的な「古典主義の攻撃者」であった、ディドロに依頼し、論陣を張る。彼らの戦略は、18世紀初頭ロンドンの出版業者が取ったものと概ね同じだった。つまり、これまでは国王から授けられた「特権」に過ぎなかったものを、コモンローや自然権として位置づけようとした。
 
 すなわち、作品は労働生産物であり、労働した作者のもの(所有するもの)である。この所有権は天与の権利であり、自然法に基づくものであって、自然法は、人間の自然(本性)に基づく法が故に、歴史的な実定法に対するものとして、永久不変なものと考えられているのであるから、わざわざ国王から保証してもらうまでもない。例えば、自分の体について、誰に保証されなくても、それは「自分のもの」として排他的に所有権を主張できるのと同じことだ。しかし、この考え方は新しいものであった。この「近代的」な所有権論は、直接には1690年のロックの『統治二論』に登場する。それは、ローマ法を復活・掘り起こしから「所有権」を近代法に持ち込んだイタリアの法学、及びアルプス以北へと伝えられドイツ法学に結びつく流れとは、「所有権の出自」を問題にする点で、異なっている(ローマ法からの流れは、所有権の排他性でなく、所有権がどういうものであり、どのような場合に制限され得るかを巡っている)。ロックは、自然的(未だ所有されない)ものに、自分の身体という「自分のもの」が関わることによって、「所有権」が生まれるプロセスを所有権の基礎に置いた。身体が関わること、つまり労働である。たとえば農地の所有権は、「開墾」という労働をした者に存する。たとえば作品の所有権は、「創作」という労働をした者に存する。「(古典からの)借りたもの」−「(詩人が)作り出したもの」という対立構造によって、古典主義に攻撃を加えたヤングの論も、これによっている。おそらくここで指摘しておくべきなのは、ロックの「一種の労働価値」に基づく所有権論が、暗黙のうちに、ある種の「市場」をすでに前提にしていることだ。彼の所有権論が「近代的」なのは、所有権の価値としての交換を目し、あるいは容易にそれを受け入れるまでになっている点にある。言い換えれば、所有権が「価値」であるということは、交換の可能性をそこに見ていることになる。もっとも農業分野の産業化が進んでいたイギリスにあって(12、3世紀には経営農民が存在した)、おそらくは登場し得たであろう所有権論なのである。

 出版業者たちは、「作者の、作品に対する所有権」に「出版する権利」を基礎づけることで、従来からの「特権」を守ろうとした。逆に言えば、「アン女王の法令」が、そしてフランスにおける1777年の国王顧問会議裁決が、出版業者の独占を排し「守ろう」した「作者の、自分の作品に対する権利」とは、作者自らが有する「出版特認」だった。したがって、ディドロの主張もこの点をめぐり、次のようなものになる。「作者は自らの作品の主人であり、さもなければ社会の誰ひとりとして自己の財産の主人ではないことになる」。そして出版業者の代弁者として、ディドロはつけ加える。「書籍商はこの作品を、作者が所有していたのと同じように所有するのだ」。

 (物質としての書物ではない)「作品」は、ここで初めて「所有されること」と出会う。私的所有権(私有する権利)を適用するという出版業者の戦略は、王の権力から「出版権」を奪い取るだけでなく、その権利の永続化をも図るものだった。なんとなれば、私有財産(所有権)は、贈与も相続されるし、販売もされます。つまり、一旦売り渡された「財産としての作品」は、出版業者自身によって相続していくことができるからである。

 ところがこれには反論が起こった。それではあらゆる知的成果は、たとえば思想や様々な真理までもが、私有占有されることになるではないか。時は啓蒙時代、「思想は万人のものである」と権力者(王侯貴族や聖職者)による知識の独占に対しての戦いがすでに始まっていた。世界の共有財産であるべき、思想や真理を、私有独占するとは何事であろうか、それは啓蒙の進展を妨げることになるではないか。たとえば、個人の権利を高らかに宣言したフランス革命は、一方で「著作権を独占する作家」という個人に対して、国民の一員にして全体への奉仕者、すなわち「立派な市民」として、「公共の利益」に適うことを要求したのである。

 この反論(とこれに対する再反論が)、「創作性」「独創性」と「所有権」との結びつきを、ねじれたものにする。この岩波文庫の発刊の辞にも見られる意見は、ここでは出版の独占状況を産み出す「版権の恒久性」に異議を唱える者たち、例えば地方の出版業者の理論的支柱となった。彼らはロンドンやパリの業者による独占状況が解消されるようになって初めて、出版で儲けを得ることができるようになる連中だった。彼らによれば、文学作品は機械の発明と同列に置かれなくてはならない。誰もが使用できその恩恵を受けることのできる発明品(それをただ発明者の研究室に閉じ込めておくのは、人類にとって大きな損失である)。これらはいずれもコモン・ローによって規制される所有権と見なすことはできない。したがって版権もまた、特許のように時効を設けるべきだ(それは作者が生きていても切れる)。文学著作権は公益によって制限されなければならない、と。

 (この考えは形を変えながらも、著作権を巡る裁判などで、近年、従来よりも強く意識されるようになっている。たとえば最近、アメリカで争われた、映画の中に出てくるロックのテーマ曲をラップに変えて使用したことが著作権侵害に当たらないかどうかが争われた事件(プリティ・ウーマン事件)で、その判決は著作権の目的を「優れた作品にpublicが接しやすいことがむしろ重要なのであって、著作権はそういう作品を生み出そうとする作者に対してインセンティブを与えるためのものである」として、このパロディ化は著作権の侵害に当たらないとした)。

 「文学著作権の公益による制限」を主張する意見に対して、版権の恒久化を図る連中は、再反論する必要があった。なるほど思想は普遍的なもの、人類共有されるものである(べきだ)、しかし作品で用いられるその「表し方」は、独自なものではないか、と。ドイツで多くの大作家・大学者を巻き込んで行われた著作権論争の最後に、哲学者フィヒテは概ねこのような結論に至る(『書物の再販の非正当性の証明』1793)。「表し方」を独創的な創造物と見なす、この新しい考えは、「表現」を「作品」と同一視する見方のひとつの端緒だった。また論争の中ではより「作者よりの考え」(例えば内容も表現も作者のものだ、というもの)も当然現れたが、それよりも重要なのは、出版業者を含む「文学生産者」にとっては、フィヒテの主張で十分用が足りたことである。彼らは「表現=作品」の「独自性」でもって「表現=作品」の私的所有を取り戻すことで、先ほど見た戦略、すなわち「表現=作品」の私的所有権から版権の財産化、版権の相続化・恒久化、そして独占出版業者の利益確保を図る戦略をもう一度復活させようとしたのだ。

 ここにおいて(ようやく)「文学作品」は、これまでのように神意の現れでも伝統でもジャンルでもなく、作者の「独自性」に直接結びついたものとして登場する。そして文学創作の職業化(生計のために・金のために書く、書くことで生計が立つ)と、芸術行為の不可侵性(たとえば、作家は他の何のために、とりわけ金のために書くのではなく、自らの内的必然によってのみ書くといった)は、コインの両面として同時に現れる。「作品」は、「商品」となるために(そして「商品」となると同時に)「(作者のみに帰属する)独創的な創造物」となったのである。


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