プロトリテラ:「書くこと」の出自

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 プロトリテラ(前文学史)
  第2回 「書くこと」の出自
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 「口承文学(oral literature)」という言葉は、語義矛盾をはらんでる。literatureはその字義からも語源からも「書かれたもの」であり、「未だ書かれざるもの」とは「書かれたものliterature」から振り返った場合に(つまりある種の転倒によって)はじめて現れる一種のまやかしである。「口伝えされたもの」は、「書かれたものliterature」より遥かに古く、そして広い。

 エドモンソンによれば、人間の歴史の中に現われた何千何万という言語の内で、「文学」をうみだすほどに「書くこと」に憂き身をやつした言語は106しかない。さらに、現在話されている3000の言語のうちで「文学」を持っているのは、わずかに78の言語にすぎない。

 かつて「文学作品」が、その全体を指し示す言葉を持たなかったように、「口伝えされたもの」「口承芸術」全体を表すのに(今日の「文学」にも匹敵するような)有力な言葉は未だ(あるいは今や)ない。

 林達夫が、戦時中、上野図書館の図書館学校で、辞表を出すまでの半年間講義した「西洋書誌学」のタネ本は、彼がのちに語るところ、ブチャー『ギリシャ精神の諸相』Some Aspects of the Greek Genius,1904であるらしい。林は、その講義を、「西洋における本の成り立ちをいうために、ずっと古い時代のいわば「本以前」の本の歴史」から始める。口承文学(oral literature)と書物文学というテーマでもって。

「十年ほど前にちょっと名の売れたアメリカのプラトン学者ハブロックHavelockが、『プラトン序説』Preface to Plato,1963という本で書いていましょう。ちょうど僕が目を付けていた、その問題を書いているんです。プラトンという奴、書くことが嫌いでしょ、パピルスに定着させるのは。活きた言葉を問答の中で「哲学」したい。----- 実は僕のはブッチャーの『希臘天才の諸相』がヒントなんだけど ------ そのアプローチでプラトンを彼、捉えてるんです。しまったと思ったが、もう後のまつりさ」(『思想のドラマツゥルギー』p.69)

 とはいうものの、ブチャーとハブロックでは、60年間という時間を抜きにしても(いや、抜きにできないのだ)、そのアプローチと、そして自ずから結論が随分と異なる。とてつもなく単純化して「対立」をでっちあげるなら、「我が西洋文明の父」たるギリシャ万歳!のブチャーと、口承から書物へ(無文字時代の影響下から文字の内面化へ)の過渡期、ひとつの分水嶺としてギリシャを捉えるハブロックとの差ということになるだろう。

 ブチャーはギリシャ人サイドに身を置く。かつてギリシャ人たちが、書かれた宗教法典を持つ東洋人(野蛮人)たちを哀れに思ったように、父から子へとまったく変わることなく受け継がれるカルデア人たちの「哲学」を野蛮人の固執を嘲ったように、あるいはプラトンがソフィストたちの演説を「書物のように拙悪だ」と罵ったように、ブチャーはギリシャ人たちの語り話される言葉の叡智、常に更新するギリシャ人の思弁、対話の中で問われ鍛えられる哲学を、賛美する(もちろん学者=書物を著す人である現代人ブチャーは、最後にそうした「話し言葉」と「書き言葉」の綜合を訴えるのを忘れないが)。

 たとえばギリシャ人たちにとって、法律は石版やパピルスの上に刻まれ文字として凍り付かされた「死んだ言葉」ではない。ギリシャ人は、アルファベットをフェニキア人から導入して何百年もたっても成文法を持とうとはしなかった(古代ギリシャが息を引き取ろうという末期になって、ようやくその作業に着手した)。他の都市が成文法を持った後になっても、クレタ人やとりわけスパルタ人にとって、法律は「書かれたもの」でなく、「歌うもの」だった。アリストテレス(彼はギリシャの最末期の学者だ)はそれを単に記憶の利便のためにつけらえた韻律に毛は生えたものだとしたが、ブチャーは反論する。それはメロディを冷たい文字の代用品と考える思考、つまり文字に汚された脳から生まれる考えにすぎない。法律は、書かれるずっと以前から、文字がギリシャにやってくる遥か昔から、歌われていたのだ。法廷が空の下アゴラ(広場)で行われたのは他の理由でない、法律・裁判は今日でいう祭や演劇とずっと親しい関係にあったのだ。ギリシャ人にとって、法律は厳格な監督者でなく、社会生活の伴侶であり、親切な忠告者でもあった。
 アリストテレスが、成文法を擁護するのは、今日の我々とそう違った理由からではない。融通無碍なギリシャ人の「法律」に対して、書かれた法は「衝動なき理性」なのだ。逆に言えば、ギリシャ人の法律がどのようなものであったかわかる。ブチャーはそれを医師が行う処方に例えている。つまり、効果が上がらないなら、医師は様子を見て3日後にその処方を取り替えても良い。ギリシャ人にとっての法律的決定はそんなものだった。等しなみを誰もに押しつけることに、ギリシャ人は我慢ならなかった。それぞれの事件(ケース)に応じて、それぞれの処方(法適用)があるのはあたりまえだ。そこには確かに「えこひいき」や「激情に駆られた偏向」があるかもしれない、しかし都合が悪ければ後で取り替えればいいだけの話だ、と。

 プラトンの「嫌悪」を、ブチャーはギリシャ人のこの「書き物嫌い」から説明する。プラトンは書物を嫌う。そして書物のように(対話を、そして交わし合いの中で融通無碍に変わっていく「生きた言葉」を)欠いた、一方的な言葉の押し付け=ソフィストたちの演説を嫌う。ここで今一つの嫌悪を思い出す。プラトンがあんなに追放したがった詩人たちだ。
 詩人もまた、ブチャーにとっては「ギリシャ精神Greek Genius」であった。彼にどうしてホメロスやアイキュロスやソポクレスを否定することができよう。ここでブチャーはプラトンの「詩人嫌悪」をやり過ごす他ない。事実、詩人たちは「うたった」のであって、「書いた」のではない。詩人こそ誰にもましてギリシャ人ではないか。商売人フェニキア人から持たされた功利的な「文字」なるものに対して、芸術的な「ことば」を擁護するのが他ならぬ詩人なのだ。詩人という先達なしには、「文字による散文」を今日文学としてヨーロッパは受け取っていない、まさに古代地中海の通商者にとっての文字と同じく、帳簿や商品の受け取りの上にしか「文字」を発見できなかっただろう、とブチャーは言いたげだ。

 古代の詩人たちが常套句や定型のフレーズを使用したことは古くから知られていた(その伝統はずっと後まで続いた)。詩人の創造力を信じるロマン主義者の意に適わない点だったが、彼らはそれを古代の詩人が負っていた「歴史的限界」のように取り扱った。そんな常套句や定型のフレーズをどれだけ使用しようとも、詩人の創造性は隠れようがない、という訳だ。ところで詩人の父ホメロスの「作品」には、常套句でないものはひとつもないことが次第研究で明らかになった(最も、フォークロアへの注目などを通じて、「口承文学」に最初の光を当てたのも、ロマン主義者たちだったことも触れておかねばフェアでない。)。それはつまり「口承文学」の必然だというのだ(あらゆる文字を欠く文明は、そのような「文学」だけを持っている)。詩人の言葉には、新奇なもの、独創的なもの、その場に応じて変わっていける「いきた言葉」など、ひとつもないとすれば、ブチャーの目論見に反して、そして今度こそ一通りにプラトンの「詩人嫌悪」が理解できる。プラトンにすれば、詩人も、演説者や書物と同じに「死んだ言葉」の担い手なのだ。

 ハブロックは、ここから逆にプラトンの「書物嫌悪」を構成してみせようとする。結論を先に回せばこうだ。プラトンは書物を嫌ったように、詩人を嫌ったのではなく、逆に詩人を嫌ったように書物を嫌ったのだ。詩人も(そしていくらかは演説者も)、「声の文化」に属する人々だった。プラトンの反感は、その「声の文化」に対する反感だ。そしてその(声嫌悪の)隠れ蓑になっていたプラトンの「書物嫌悪」こそ、プラトンが(そしてギリシャ人たちが)すでにものにしていた「書くこと」を前提にして初めて可能なのだ、と。

 プラトンが擁護しようとしたのはいうまでもなく「哲学的思考」であり、それは対話(ダイアローグ)の中でなされる(ソクラテスに帰するような)分析性である。詩人や演説者、そして書物が投げかける言葉は分厚く溜まっていく。その累積性は「何を言ったか」を忘れさせるだろう。書くことも、別のやり方で累積し、記憶を奪う。プラトン(ソクラテス)が行った「言葉の吟味」を思い出そう。詩人の常套句とその繰り返しは、そうした吟味を不能にするが故に「哲学の敵」なのだ。そして書物は(対話の中でなされる)そうした吟味を欠いているが故に「哲学の敵」なのだ。

 プラトンにいたるまで、ギリシャ人はアルファベットを手に入れてから3世紀を過ごしていた。まずはセム語のものとして約1500年前に生まれたアルファベットは、その母胎の性質もあって母音字を欠いていた。アレフはアルファベットのAにあたるけれども、セム語では子音字だった。現在でもセム語系のヘブライ語、アラビア語などでは、母音を表す文字がない。至極おおざっぱにいうと、犬dogをdgと、閃光flashをflshと書くようなものだと想像することができる。したがってセム語系の言語の文を読む場合は、読み手が母音を(文意やその他から想像・判読し)補って読む。逆に言えばセム語系の言語は、それが可能な言語システムになっているとも言える。そして当たり前だが、「母音を補って読む」ためには、当該の言語がどのようなものであるか、あらかじめ習得していなければならない。
 アルファベットは、ギリシャ語において母音字を獲得する。そもそものギリシャ語のシステムが「母音を補って読む」には不向きであったということかもしれない。とにかく、母音字の導入で「母音を補って読む」ことは不要になった。これは二つの大きな意味がある。
 ひとつは、言語を(それほど)習得しなくても、(とりあえず)文を読むことができる、ということ。これは我々の通常の体験なので逆に理解しにくい。日本語をそれほどしらなくても、「あいうえお」と音の対応さえ知っていれば、なんとか読むことができる。「母音を補って読む」時に必要だった広範で深い(ほとんどマスターすることが必要だったほどの)言語の習得を必要としない。ということは、外国語の言葉(外来語)の導入が可能となったということでもある(このことはその後のヨーロッパ諸言語の運命を大きく左右する。交雑種が可能なら、それは必ず、そして頻繁に起こるからだ)。英語のシステムを知らなくても、音をとりあえずカナ文字で表せれば、英語から日本語に言葉を取り入れることができる(「母音を補って読む」ことは、当該言語のシステムに依存しているから、このようなことは不可能なのだ)。
 もうひとつは、こっちがハブロックの論点だが、音声(言語)を完全に記号化できるようになったということ。アルファベットのシステム以外の何にも依存せず、話されるすべての音声(言語)を、有限個の空間的等価物(文字)に置き換えることが可能であるということこそ、音素空間を成立させ、分析的思考の端緒となったのだ、ハブロックは主張する。あらゆるものが有限個の要素の組合せで表現可能であるという事実こそ、思考を口承言語の累積−霧散性から、分析性へと移行させる動機となった。このことがプラトン(と彼を含めたギリシャ人)にとって、アルファベット(文字)によって可能となった思考である。これがプラトンが書物を嫌悪し、擁護しようとした思考の正体だと、ハブロックは言う。
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