宗教の「起源」



レクチュールを辞書(仏和辞典)で引いてみた。

「LECTURE 1.読むこと 2.(文字の)読み方 3.(対象として読んだ)本 4.読解の仕方 5.(公で)読み上げること 6.(議会の)読会 7.読誦[カトリック] 8.再生[録音技術] 9 .読取り、読出し[情報]」

LECTUREが、ラテン語の lego (legere)に源を持っているのは言を待たない。習って辞書を引こう。新しい順に(より派生的な意味から)列挙してみる。

「lego (legere)  10.朗読する、読み上げる 9.(書類などを)読む、目を通す 8.盗む 7.選び出す、選択する 6.沿岸を航行する 5.巡航する 4.耳をすます、盗聴する 3.息をこらす 2.巻き込む 1.拾い集める、集める」

 この語はまた、宗教religioという語の(永らく一致しない解釈の)二源泉のうちの一方でもある。キケロはいう。
 Qui autem omnia quae ad cultum deorum pertinerent diligenter retractarent et tanquam relegerent , sunt dicti religiosi ex relegendo ut elegantes ex eligendo, ex diligendo diligentes. His enim in uerbis omnibus inest uis legendi eadem quae in religioso.
 神々の祭祀に関わるものすべてを入念にやり直す(retractarent)、いわばrelegerent[再び集める]者達は、relegereから派生したreligiosiという言葉で呼ばれる ---- elegantes[エレガンス、上品な]がeligere[選び抜く]、diligentes[入念な]がdiligere[選び出す、評価する、愛する]に由来するように。実際、これらのあらゆる用語は、religiosus[聖なる]と同様、legere[集める、選ぶ]と同じ意味を持っている。

 バンヴェニストは、もう一方の解釈(religioをligere結ぶ から考える)をしりぞけ、古典的用法におけるreligioには、たったひとつの解釈(つまりキケロの解釈)しか妥当でないとする。つまり、religioをligere結ぶから考える解釈は、キリスト教の信仰を異教のそれから際だたせるものは「信仰心の絆」であるとする、キリスト教の著作家にしか見られない。この解釈はしかし、近代的語義の先駆けであり、religioという概念を刷新する上で重要な役割を果たした。

 religioが信者と神との「結びつき」を示す以前には、religioはrelegere[再び−集める]こと、「新たに選ぶためにもう一度取り上げること」「再構成のために再び以前の状態に立ち戻ること」を意味していた(宗教的な「細心」、そして「二の足を踏むこと」)。これについてのデリダのコメントはしばらく放置しておこう。そしてlegereが、物体を拾い集めるだけでなく、魂を集めること(集中すること)をも意味していた(4.耳をすます 3.息をこらす)ことに立ち戻るなら……

「学問研究と信仰。祈りとは純粋な状態での注意にほかならず、学問研究は、注意力の訓練といってよいものだから、学校での勉強はどれもみな、霊的生活の一部分でなくてはならない。それには方法が必要である。ラテン語の訳をするについても、幾何学の一問題をとくについても、ある一定のやり方を守るのが(どんなやり方でもよいというものではない)、注意力をいっそう祈りにふさわしいものにするのに適した訓練となるのである」
(ヴェイユ『重力の恩寵』 注意と意志)

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