冷蔵庫と経済学(カルノー先生の経済学講義)


「おお、よくきたの。今日は何を聞きたいのじゃな?うむ、冷蔵庫か。そもそも熱機関というものは、2つの熱源を必要としてな。

 これ、ゆめゆめおろそかに聞くでない。『科学が蒸気機関にしてやった以上のことを、蒸気機関は科学になした』というくらいじゃからな。うむ。

 つまり2つの熱源、「熱い熱源」と「冷たい熱源(冷源)」じゃな。2つの熱源の温度差=「温度傾斜」が(熱機関がなす)「仕事」の源じゃ。「でぃふぁれんす・えんじん」すなわち差分機関じゃ。

 つまり熱機関の効率の限界は、2つの熱源の「温度傾斜」によって定まる。資本主義と同じじゃな。儲け(利潤)がないと経済は回らん。じゃが、儲け(利潤)の源いうたら、労働者が働いてつくった分と貰える分の差額じゃ。労働者の「貰える分」が、こ奴が働いた分以下になるのは、失業者がおって賃金が低く押えられるからじゃ。「この賃金で気に入らんなら働かなんでもええ。他にもやりたい言う奴はごまんとおる」という訳じゃ。

 つまりじゃな、労働者の働きが儲け(利潤)の源になるのは、労働者が「失業者という冷源」と接している時だけじゃ。労働者は1回働くことにいわば「失業」する。労働者−失業者いうのは、つまりフロンガスみたいなもんで、賃金(熱)貰うことで「気化」して「労働者」になり、労働力を売る(熱を失う)ことで「液化」して「失業者」になるのじゃ。「働き続ける」いうのは、この循環(サイクル)を繰り返すことなのじゃよ。

 失業者が増えれば増えるほど(実質賃金が下がって)、「温度傾斜」が、つまり資本家の儲け(利潤)は大きくなる。じゃが、それも限界があるな。あんまり下がると生きていけんようになって、「何か」が起こるからじゃ。
 じゃがな、この失業者を減らすというのも難儀なことじゃて。失業者をゼロにするのは、絶対零度を達成するようなもんじゃ。たとえば痴れ者どもは、賃金が高いから失業者が多い、などと言いおった。高い賃金→働きたい者が増える→けれど席(職)の数は決まってる→あぶれる奴が出る・失業が起こる、というのじゃ。

 だったら、賃金下げたら働きたい者は減るんじゃな?減った奴らはどこへ行く?なあ、どこへ消えてしまうんじゃ?(どこに「消える」か、あとで教えてやろう)。実際は、賃金が下がると、物買う量が減って(だって金がないんじゃから)、どこもあまり物を作らんようになって、ますます席(職)の数が減るのじゃ(人手が余って失業者が増える)。逆に労働者が足りんと、給料が上がって、その給料でますます物買う量が増えて、どんどん物作るらんといかんようになって、ますます人の手が足りなくなる。要は「拍車がかかる」のじゃ。

 ほんとはな、例えば工場では、使われる機械が同じならそれに必要な労働者の数も変らんのじゃ。雇用を増やそうにも減らそうにも、どっちにしろ大幅にやるには、ちがう機械、ちがうシステムの導入が不可欠じゃ。逆により効率的な機械、システムの導入には、必然的に労働者の数の増減を伴う。企業家は、人間が嫌いじゃもんじゃ、揉め事のもとじゃからな。したがって、新しいシステムはいつも労働節約的なもんになる。

 好況期にはそうはいかん。さっきいったように、いくらでも人手は欲しいからじゃ。では不況になったらどうじゃ?物作る量が減るから人はいらんようになる。直接にも人員整理がすすむ。間接的にも新しいシステムを導入することで、より少ない人間でより多くの生産ができるようにリストラされる。古い熟練労働者は、新しいシステムには不要どころか邪魔になる。熟練工の方もそれはようわかっとる。ライダラットの連中は、労働と機械(設備)が代替的だなどと信じる経済学者なんぞよりよほど現実的じゃった。

 いずれにせよ、不況期には、生産システムの再編成・効率化によって、必要な人員数は減る。相対的に「人あまり」、要するに「熱源」を創出するんじゃ。温度差というのは、つかうとその分なくなっていく。儲けの源は、ほっといたらだんだんダメになっていくからな。「人あまり」の圧力で、実質賃金を下降させ、利潤率を高める。

 おまえさんらはダムというのを知っておるじゃろう。そうして、ダムで流れをせき止め、作った落差で電気を作っているのも知っているじゃろう。水は落差を勢いよく落ちる。水の勢いが水力タービンを回す。じゃが、「ダムで電気を作っている」というのは正確でない。今はピーク発電と言って、常には火力発電(火力タービン)で一定量の電力を作っておいて、それでは足りなくなったところで、ダムに蓄えてあった水を放流しその発電で電力を補うのじゃ。そして火力発電で電力があまったときに、その電力を使って放流した水をまたポンプ・アップし、ダムを満たしては(また時が来ると)水を落とす。

 やがて好況になったときは、ダムみたいに、不況期に貯めておいた産業予備軍を放出して、食いつぶして発展する(熱源を食いつぶす)。食い尽くしたところで景気は落ち始める(たとえば資金は、儲けの量でなく、儲け率(将来性)を見て貸出されるじゃろ、返してもらうのは先のことじゃからな。儲けの伸びが頭打ちになれば、資金は貸し渋られる。かといってまだ経済は拡大しているから資金の需要は増え続ける。資金は最も要求が激しくなるときに、その増加を抑制されるのじゃ)。不況になったらまた(更なる)リストラして、また「人あまり」を創出する。この繰返しじゃ。

 しかし、そういうのも段々だめになってくる。この循環(サイクル)も、「熱源」を必要としとる。たとえば、経済が大きくなると、そんなにいつまでも低賃金でいくわけにはいかんようになる(さっきもいったように、「拍車がかかるからな)。低賃金ちゅう「熱源」は、国民所得の発展にともなって、なくなっていく。また、でないと、買い物してくれる人が増えんから、発展が頭打ちになるから、しょうがないんじゃ。

 結局、唯一の方法は、このわしらの宇宙みたいに、どんどん「外」へ断熱膨張して「熱死」を繰り延べすることじゃ。

 とりあえずモノが売れるなら、どんどん作ればええ。そしたら人が雇えるし、失業が減る。経済成長いうやつじゃな。国外に市場を求めて行くのも一興、そのために戦争するのもまた一興。さきに仕事をでっちあげて、給料払ってしまう手もある(たとえば、古ビンに札束ねじ込んだものを、いっぱい廃坑に埋めて、それを私企業に探させればええ。掘り返すのに企業は人雇う。失業がなくなる。給料貰うたら物を買う……。結果として、実質所得も資本財も増えるじゃろ。家でも建てる方が道理にかなっとるが、政策と現実は難しい言うて何もせんよりは、古ビンでも掘っといた方がましじゃ、これはケインズいうのがいっとることじゃ)。

 これは、よそ様の国に迷惑かけんから一番ええように思うかもしれんが、結局は同じじゃ。よそから労働者入ってきたり、同じことじゃが(よその労働者が作った)輸入品が入ってきてそれをみんなが買ったりしたら、効果が相殺されるじゃろが。一国に閉じこもって他には何もせんようじゃが、ほっといたら仕事あるところに人が来る、金があるところにモノがくるのは当たり前じゃ。何もせんように見えても、当たり前をせき止めんといかんのじゃから、結局自分とこの失業を、不景気を、見えない仕方で「外」へ押しやっとるのじゃよ。それは、外国に低賃金という「熱源」を求めることになるのじゃ。

 景気がよくて、どんどん人手が欲しいときも同じじゃ。今度はあからさまに、「外」=「熱源」(失業者国)と接続して、労働者を、あるいは(よその労働者が作った)輸入品を持ってくる。いずれにしろ、「かかる拍車」のオーバーヒートを繰り延べするには、「外へ拡がる」「越えて出て行く」しかないんじゃ。

 資本主義には、国家以上に「国境」が要る。「熱源」(失業者国)と接するのは、すなわち「国境」だからじゃ。生物の細胞じゃ。細胞膜での物質交換じゃ。イオン・ポンプでイオン汲み出しては、膜の内外でイオンの濃度差作りだし、濃度差で今度は電位差を発生させ、また今度はその電位差でイオン・ポンプで動いてイオンを汲み出す、必要物質/廃棄物の出し入れをやりおるわけじゃ。

 さっき「2つの熱源」と言うたな。「熱い熱源」がいじれんなら、「冷たい熱源」をなんとかすればよいのじゃないか?つまり「冷たい熱源」をもっと冷やせば、結局「温度差」なんじゃから、これでいけるんじゃないか、と思うじゃろ。それが浅はかだと言うんじゃ。

 「冷たい熱源」いうのは、「熱機関」の排気側じゃ。「捨てる」と聞いてすぐ思い付くのは「ゴミ」じゃろうがそれだけじゃない。要するに「冷たい熱源」というんは、「タダの経済」じゃ。ゴミを捨てるんはタダじゃった。通勤いうて「労働力」を持っていくのもタダじゃった。家事いうのもタダじゃった。この「タダ経済」は、「賃労働」のネガで絶対必要なもんじゃが(たとえば昔の失業者はサラリーも失業手当も貰えんのにどうやって食うとったか。それだけ養うデカイ「タダ経済」があったんじゃ)、必要なだけにどんどん食いつぶされていく。実際、賃金では面倒見切れない、面倒見たりしたら利潤が消えてしまう、ような部分を平気でほっぽいておれたというのは、「タダ経済」を(熱)資源としてそれだけ食いつぶしてきたんじゃ。

 「タダ経済」がなくなるのを(つまり「タダ」じゃなくなるのを)避けるために、いろんな制度や習慣で「差」を作ったり、いろんな「差」を、たとえば性別ちゅう「差」をつかって、「賃労働」と「タダ労働」を分けて交ざらないようにしたり、あるいはどんどん金かかるゴミ処理や道路網や病人の世話、失業対策なんかを「公共費」で賄って「タダ」にみせたりする、つまり「福祉」じゃな。逆カルノーサイクルじゃ。じゃが、そういう「タダ経済」を「冷源」として冷やす努力は、結局あんなに避けたかった「タダ経済がふつうの経済と交じり合うこと」を避け難くする。性差もやがては食いつぶされるし、冷やす努力の、高「福祉」自体がとっくにオーバーヒートじゃ。

 都会を見てみい。どの建物もクーラーで冷やそうとしとるが、あんなものは家の前にあるゴミを、隣の家の前に吐き出すことでしかない。お互い熱吐き出し合って、挙げ句の果てが都会ごと暑うなってクーラーはますます効かんようになる。つまり冷蔵庫などいうものはじゃ、……これ、どこへ行く?まちなさい!これ!

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