パソコン通信で真の...

「やあ、カンパネルラ君、いきなり問うけど、君は人にこっぴどく裏切られたことはあるかい?」
「いいえ、ゲーデル先生。ぼくは人を心の底から信じたことがないので、裏切られたことはありません。先生はあるんですか?」
「あるとも!そりゃあもう!!……でも君の生き方は少しさびしいとは思わないか?」
「誰かがそばにいてくれたら、このさびしさがどうにかなるのに、なんて思うのは、先生がまだ本当の恋を知らないからですよ」
「おお。では聞こう、本当の恋とは?」
「ポッ。そんなこと子供の口からは言えません」
「ずるい、ずるいぞ。カンパネルラ君。それはそうと、君には君のために死んでくれるオタクはいるかい?」
「もちろんです。オタクの一人や二人、どんとこい!」
「それならば、君もパソコン通信について聞いたことがあるだろう」
「オタク/パソコン。こいつはひどい偏見ですよ、先生。だいたいなんで、コンピュータを使うのに、部屋の電気を消す必要があるんですか?(TVドラマの話ですけど)」
「バカモノ!偏見こそ芸人の基本だ!」
「先生は探偵でしょ」
「どうやら君は、酢を飲んでするバク転のくるしさを知らないらしいね」
「すると先生は、昔唐獅子牡丹だったのですか?」
「それをいうなら、鞍馬天狗だ。しかしそれにしても、パソコン通信で『真のコミュニケーション』が可能だろうか?」
「それはまたいきなり愚問ですね」
「聞けばカンパネルラ君、君は女の子のふりをして、文通相手の中年男性をひどく気の毒な目にあわせているというではないか?」
「先生こそ、ぼくに隠れて女子高生と文通なんかして!」
「げげ、どうしてそれを?」
「何をかくそう、ぼくがその『女子高生』だからです」
「どうして早くいってくれないんだ、結婚しよう!」
「ぼくの知り合いにネットで嘘ばっかりついてる人がいますよ」
「ああ、『自宅にクレイ1を持ってる』って人だね」
「でも、中にはそれをそのまま信用して、『次のオフに持ってきて見せてください』という人もいるみたいです」
「それはその嘘付きをこらしめようというのではないのか?」
「でも人間、まるで嘘をつかないでいくというのは不可能ではないですか?」
「いや、人間弱いものだ。たとえば文通でどんなに仲がよくなっても『その次』があるように思ってしまう」
「『その次』って何ですか」
「直接会うのさ。そしたら今までよりもっと素晴らしい付き合いが始まるような気がしてしまうんだな」
「でもそのロジックでいくと、最後は『押し倒す』ところまでいきませんか?」
「何を言い出すんだ、カンパネルラ君!」
「でもよくセクハラ顔したおじさんが『どんな人間も××してみないと分からない』とかいうじゃありませんか?」
「なんだい、その××というのは?」
「伏せ字ですよ(大人なんだから、その辺は察してください)」
「だったらあえて聞かないけど、出会う人出会う人残らず××しまくる訳にはいかないだろ。××しない相手、××できない相手、××したくない相手、××しちゃいけない相手、××して相手のことがわかってもそうすることで何かが壊れてしまう(その何かを馬鹿みたいだけど大事にしたいと思う)相手……、そんな人達とも我々は繰り返し繰り返し出会うことだろう」
「永遠に××することのない相手とはどうやって付き合ったらいいのでしょう?」
「では私の文通相手として尋ねるけど、手紙のやり取りだけでこの私ゲーデルのすべてが分かると思うかね?」
「でも先生は以前、『ゲーデルのすべて』『ゲーデルの世界』『ゲーデル先生危機一髪』という3部作を文通相手の《女子高生》に、つまりこのぼくに送ってくれたではないですか?」
「そういうことは忘れなさい」
「すると先生は、手紙は『その人のすべて』を知る手段としては不十分だけど、文通には十分だ(だって文通というのはそういうものだから)と言うのですか?」
「ところが、そう簡単ではないのだよ。だって手紙には何だって書くことができるし、つまり『私は××氏のすべてを知った。それは〜だ。』とか書くことができるのだから」
「では先生は、手紙に手紙以上のことをさせてはならない、たとえば『この手紙に書いてあることはウソだ』とか書いてはならないとおっしゃるのですね、ぼくはそう理解しました」
「君の理解を邪魔することは私にはできない(せいぜい大きな音を出して気をそらせるくらいだ)。けれどそれは『偽りを口にしてはならない』というのと同じくらい、守れない戒律になるだろう。『ネットワークでは真面目な議論はできない』とか、ついネットワークに(しかも真面目に)書き込んでしまうことがあるだろう?」
「ありませんよ。でもあまりに品性下劣な文(ふみ)を受けとって、『この品性下劣な男め!』と思ったことならあります。本当は女の人だったんですけど」
「それでも君は、彼/彼女の人格を『品性下劣』だと思っているのだね」
「だって××ムニャムニャとか書いてあるんですよ」
「ゆるせん!まったく、けしからん奴だ!」
「でも本当は、書いてあることが品性下劣なだけで、書いた本人はいい人かもしれませんね。本当は女の人だったみたいに」
「これは私がまだ学生の頃の話だけどね。ある日、掲示板(伝言版)に、『ゲーデル君、今夜うちに遊びにいらっしゃい』と書いてあった。お誘いだ。けれど、どこにも書いた人の名前がない。誰のところに遊びに行けばいいのか、全然わからないんだ」
「不潔です!先生は学生の頃からそんな生臭な生活をしてたんですか!」
「これが主体の消失だ、テクストってもんかと思ったよ。後から分かったことだが、それを書いた先輩は単なるバルト読みの、うっかり者だったんだよ」
「大ボケですね」
「まったくね」
「先生、今の話の教訓は、書かれたものから書いた者を探すことは不可能だ、ということですか」
「何を聞いてたんだい。まったく逆だよ。書かれたものから書いた者を探すことは、いくらだってできる。できすぎてしまう。解答は「ない」訳じゃなくて、「無数にある」のさ。だから、誰のところへ遊びにいけばいいか、分からないんだ。その後、私がどうしたか、聞きたくないかい?」
「聞きたくないです」
「でも言おう。一番お気に入りの人のところへ遊びに行ったのだよ。誤解を手みあげにしてね」
「でも誰もがそんな手前勝手に都合の良い解釈ばかりしてたら、コミュニケーションもなにもあったもんじゃありませんよ」
「でもね、何の気なしに口を開くときは『話せばわかる』と思って話し出すくせに、いざふりかってみると、すれ違った出会い、誤解の末のケンカ別れ、うまくいかなかったコミュニケーションばかり思い出すのはどうした訳だろうね」
「ああ、先生ったら、遠い目をして……」
「文通だけでは分かり合えない心というのは、会えば結局満たされるのだろうか。それとも満たされなくたって、人は会いに行ってしまうのだろうか。ことによると、まだ別のコミュニケーションだって残ってる、と知っているから、文通は楽しいのかも知れないのに。そして実際は、文通でケンカ別れしてしまえば、『その次』なんて決してないんだってことも分かっているのに」
「『一目会いたい』と、最後に書くために、ぼくらは手紙を(というより言葉を)書き続けているのでしょうか」
「いいやそうではない。君は何かを読んでいて、『ああ本でよかった』と思うことはないかい?本は本当にすばらしい、ああ面白かった、ためになった、でも書いた本人はきっとすごく嫌な奴みたいだ、会えば不幸なことになるに違いない、と」
「何度もあります。とくにお金を出して何かを読んだ時なんか」
「お金を出してまで、嫌な奴に会うなんて、何て嫌なことなんだろう」
「でもそういう時だってありますよ。せっかくお金を払ったのに、自分のお母さんみたいなおばさんが出てきた時なんか」
「おお、なんということだろう。カンパネルラ君、君は少年のくせにそんなところに出入りしているのか!?」
「電話ですよ。ぼくはそこで、20年も前に亡くなった息子さんを探している、おばあさんに会ったことがあります」
「それで、そのおばあさんの電話を受け取ったとき、君はどうしたんだい?」
「『本当の息子さん』になってあげたのです」
「でも『本当の息子さん』は死んでしまって、いないのだから、おばあさんも『本当の息子さん』には会うことはないことは知っているんじゃないだろうか?」
「そうかもしれません。だとすると、ぼくはおばあさんの心の中を土足で踏み荒らしてしまったのでしょうか」
「そうは思わない。これはおばあさんがはじめたゲームなのだ。だからプレイヤーはたとえ誰であっても、きっと『本当の息子さん』だったにちがいない。それに君には、充分その資格があったと思うよ、カンパネルラ君」
「そうでしょうか。ぼくは電話で話せば話すほど、ぼくがいたらない息子であるような気がしてきました。おばあさんの『本当の息子さん』は、ぼくなんかよりきっと随分立派な人だったと思います」
「なるほどね。でも、こうも考えられないかい?我々は『本当』という言葉を、大まかに分けて二通りに解することができる。『本当だったら』の本当は、《本来そうあるべきだった》本当だ。そして『本当に(そうだ)』の本当は、《現にそうであったところの》本当なのだ。一方は、ほとんどあり得なかった『理想』だし(もっとも、この現実とやらが仮象、かりそめの客にすぎないのかもしれないのだけれどね)、もう一方は「現実」の、ただの、つまらない、どこにでもある、だから現にそのとおりであったところの、『息子さん』なのだ。『おばあさん』には、毎週金をせびりにくる質の悪い息子がいるのかもしれない。もちろん彼だって最初からそんなやさぐれていた訳ではあるまい。小さい頃はよく親の言うことを聞く、本当にかわいい息子だったのだろう。それがいつのまにか、悪い友達と付き合うようになり、こっそり家のお金を持ち出すようになり、自分の母親に口汚いののしりを投げつけるようになり、本当に殴り付けるまでになり、おばあさんのわずかな年金をほとんど巻き上げて、自分ではいっこうに働きもしない、そういう輩になってしまった。おばあさんの中で、息子はもう息子でなくなってしまったのだ。そうして彼女は毎晩、他に誰もいない家から、誰かが競いあって受話器を取ってくれるナンバー(きっとおっちょこちょいのバイトがおばあさんにも番号入りのティッシュを配ってしまったのだろう)に電話してくる。毎晩、電話網(ネットワーク)の上で、今はなき『本当の息子さん』を捜し求めているのだ」
「う、かわいそうに!!」
「さあ、これで涙をふきなさい」
「うう、ぼくは本当に悲しいのです」
「わかるよ。君はさっき『本当のコミュニケーション』と言ったよね」
「いいえ、それは先生が言ったのです」
「そうかい。でもそれは、今となってはどちらでもよいことだ。我々は、現実の、ただの、つまらない、どこにでもある、だから現にそのとおりであったところの、コミュニケーションを、誤解を繰り返し、待ちぼうけをくらい、家に会いに行けばいつも外出中か居留守、手紙を出せば宛先不明で返ってくる、電話番号を忘れる、相手の名前も忘れる、咽が腫れて声も出せない、歯が痛い、そんなコミュニケーションを求めていた訳じゃない」
「求めていた訳ではありません(そんなのだったら、実際何の役にも立ちません)」
「それならいっそ、役に立つ実用文について考えてみようじゃないか。カンパネルラ君、君はとてもお金に困っていて誰かから借りたいと思っている、そういう心持ちになってごらん。その相手に君なら何と書き送るだろうか?」
「お金がホシイ」
「立派なものだ。それでお金さえ手に入れば、ちゃんとした実用文と言うわけだ。どうだい、役に立ったじゃないか。もっとも別のやり方もある。ある人は、本当にとても困っている実情を事細かに書き連ねるだろうし、ある人は、何を間違えたのかカレーライスの作り方を事細かに書くだろう。けれど、そのどれにも共通の点がある。どんなに文章が踊っていても、不真面目でも、実用文はその目的については真剣なのだ。それでは若い君に問いをかけてあげよう。《ラブレターははたして実用文だろうか?》」
「場合によっては実用文でないです」
「というのは、どうしてだろう?」
「たとえ修飾過多の自己陶酔文を書き送った結果が『失恋』に終わったとしても、つまりまったく役に立たないばかりか末長く恥ずかしい思いをすることになったとしても、その手紙はやっぱりラブレターには違いないからです」
「私が毎月読んでる雑誌の文通欄には、よく『私には地球を救う力があります。文通してください』なんてのが載っているよ」
「どうして、その力をほんの少し、友達を作るのに振り分けないんでしょうか?」
「大きなお世話だよ、カンパネルラ君。だったら君は、ラブレターなんか書かないというのかい?」
「でも相手が、ぼくの書いた隠喩をすべて読み解いてくれるなんて、ぼくには期待できません」
「では直喩で書けばよいではないか」
「相手は字を読めないかもしれない」
「そんなこと言っていては、何もはじまらないぞ、カンパネルラ君」
「ええ、ぼくたちはもう終わってしまったのです」
「しかし孔子(Confucius)は、こう言っている。『力足らざる者は中道にして廃す。今汝は画(かぎ)れり』(力が足りない者は途中でやめることになるのだ、今お前は最初からあきらめてる)」
「先生、前から言おうと思ってたんですが、目的がデタラメな引用はやめてください。ぼくまで気付いてないと思われるじゃないですか」
「ごめんよ。でもとにかく君を元気付けたかったのだ」
「先生は、とにかく駄目でもいいから書いてみろ、とおっしゃるのですか?」
「そう言ってもかまわない。でも私も相手の迷惑をまるで考えないという訳ではない」
「ぼくは文章のプロというのは、自分の書きたいものじゃなくて、他人の読みたいものを書く人のことだと思っていました」
「つらい商売だね、サービス業というのは。それにしても、あのソムリエというのは少し生意気じゃないかね」
「でもお客の懐具合が少しさびしいときは、さりげなく安くて不愉快でないワインを勧めてくれるよい人もいますよ」
「おお、それぞプロだ。けれどね、カンパネルラ君、私がいうのはそういうことではないのだ。私が何が書いたとする。その時だって、私はそれをいつか読む人のことを考える。けれど、誰か特定の人のことを考えるのではないから、結局『その人』が、私の書いたものを読んでどう思うかなんてことは、全然わからない」
「それでは何にもならないではありませんか」
「そうだね」
「がっかりです。ぼくは何か『書くことのコツ』のようなものを教えてもらえるかと思って期待したのに」
「いと小さきものよ!そんなものは誰かに教えてもらうものではない。もっと言えば、教えてもらいたがってるような物欲しげな奴に教えてあげるようなものではない」
「ちぇっ。ゲーデル先生って意外にがっちり屋ですね」
「いいかね、カンパネルラ君。私はとても個人的にだが、書くことは穴を掘るようなものだと思ってる。とても深く掘り下げる人もいるし、あちこちにたくさん穴を穿つ迷惑な人もいる。一旦掘った穴をすぐに埋め戻す人、わざと落し穴をこしらえる人、穴と穴を地中でつなげる人、……。けれど、それは人を陥れるためではない。そうやって掘った穴に、いつかさっと風が吹き込んで、小さな渦巻をほんのちょっとの間生じさせるだろう。そしてその穴が笛のようになって、吠えたてたり、高々と呼んだり、低く叱りつけたり、細々と吸い込んだり、叫んだり、号泣したり、深々とこもったり、悲しげだったり、そよ風なりに強風なりにいろんな音をたてるだろう(荘子にいう地籟(チライ)のようなものだ)。それを見たさに聞きたさに、私は穴をいろいろに(並べたり深さを調節したりして)掘ってみせるのだ」
「でも風なんか、いつ吹くかわかりません」
「そうだ。とうとう吹かないかもしれないし、第一どんな方向からどんな強さで吹いてくるか、長く吹くのかすぐ止んでしまうのか、それさえもわからない。それでも私は穴を掘るつもりだ。私が何のことを言っているかわかるかい、カンパネルラ君?」
「よくわかりません。でも、先生は風が吹くのを待っているのですね。それならぼくもそいつを待とうと思います。待てると思います」
「いいや、だめだよ。君には君の風があり、君は君の穴を掘るべきなのだ」
「ケチ」
「さあて、カンパネルラ君。我々もずいぶん分別くさい話をしてきたけれど……」
「まるでゴミですね」
「うん。この辺でひとつお開きにしようと思うのだが、どうだろう?」
「えーと(とメモを見る)、まだチューリングテストの話が残っています」
「おお、そうだった。確か手紙(メール)のやり取りしかできない(あるいは昔のコンピュータについてるような端末でしかやり取りできない)友情の話だったね」
「また先生ったら、彼女を取り合うのに男二人が卓球で勝負するような小説のタイトルを言って。本当は、端末の向こう側にいるのが本当は人間なのか、それとも機械(人工知能)なのかをあてるゲームです」
「いや、このテストには、もうひとつポイントがある。それは端末の向こう側にいるのは、必ず異性であるということだ。このテストの原型はね、カンパネルラ君、端末の向こう(あるいは文通相手)には二人の人間が登場する。解答者が仮に男性だとしたら、その二人は男性と女性であって、どちらも女性のふりをするのだ。そして解答者は、どちらが本当の女性かを、手紙(あるいは端末に出力されるテキスト)だけから判断する。まあそういったゲームなのだ」
「では、おかまにコンピュータが代わるのが、チューリングテストなのですか」
「おかまはあんまりだけど、そういうことだ。チューリングは(私の親友だけども(私が一方的にそう思ってるだけかも知れないけれど))、このゲーム(テスト)でもって、知能なるものを再定義してみせた。解答者を見事だましおおせて、自分を女性(男性)だと思わせれば、コンピュータの勝ちだ、彼には知能があるということになる」
「おかまの知能ですね」
「あのね。……けれども、このテストには欠陥がある」
「解答者がテレパスだったら、すぐに見破られてしまいますね」
「それはチューリングも考えてた(本当だ)。もうひとつ、何十時間もぶっつづけで、テストするのだ。こうすれば、人間の方はぶったおれてしまうから、機械と人間の区別がつく」
「でも、コンピュータの方だって、疲れたふりはできますよ」
「あ、そうか。いやいや、でもお話の中ではコンピュータは嘘を付けないものさ」
「何か、チューリングテスト自体の否定ですね」
「だがねカンパネルラ君。えー、また映画の話で申し訳ないのだけど、いいかね?」
「ええ、ぼくも本当は映画が大好きです」
「ああよかった。これは私が若い頃見た映画なのだけど、一人のおっさんが逃げた女房を探している。女房は、とある町の『風俗』のお店で働いていて、おっさんはなんとか、そのお店を見つけるのだ。そして客としてお店に入り、自分の女房を指名する。いや逆だったかな。お客としていったら、たまたま女房を見つけたのか……」
「どっちにしろ、修羅場ですね」
「ところがだ、彼女はガラス一枚隔てた向こうにいて、すぐそこにいるのに手を触れることもできない。カンパネルラ君、少年の君に聞くのは酷だが、『のぞき部屋』というのを知ってるかい?」
「ベニヤ板の壁の穴に自分のものを差し込むところですか?」
「カンパネルラ君、そんな風に噛み合わないことばっかり言ってると、人工無能だと思われるぞ」
「作り付けの馬鹿ですね」
「今言ったように、客の入る小部屋と彼女がいる部屋とはガラスで仕切られている。だから男は、自分のかつての妻をとりあえず見ることはできる。ところが、ここからが『のぞき部屋』たるところなのだけど、そのガラスというのはある特殊な鏡になっていて、暗い方から明るい方を眺めることはできるのだけど、逆に暗い方から明るい方を見ることはできないんだ」
「なんだ、マジックミラーですね」
「そう、ここに一つの魔法、一つの幻術がある。客になった男は暗い部屋にいて、明るい女の部屋を覗くことができるだろう。だけど決して彼女は客の方を見ることができない。彼女に見えるのは、いいかい、鏡になったガラスに写る自分の姿なんだよ。
 かつて二人は夫婦だった。短い間だったかもしれない、二人は同じ家に住み、同じベッドで眠り、同じものを見て笑っていた。そして二人は別れ、違う町に住み、違う時間を過ごして、違うものを見て、違うことどもに涙しただろう。
 今、二人はほとんど同じ場所にいる。でも、彼には彼女が見えるけど、彼女には彼が見えない。彼には彼女が誰だか分かる。けれど彼女には彼が、ガラスの向こうにいるのが誰なのか、あるいは本当に誰かいるのかさえわからない。彼らは出会いようのない場所で、出会ってしまったんだ。なのに、二人はたった今、まるで同じものを見てる----ガラス越しの/鏡に写った、一人の女の姿を」
「悲しい話ですね」
「いいや、これはお話なんかじゃない。だってこれは映画であって、我々は現に映画を見ているのであって、つまり暗い部屋にいるのは我々であって、例えばスクリーンに写った彼女の姿に恋だってできるのに、彼女は我々を見ることだってできないのだ」
「彼女は『向こう』に誰がいるのか、知ることはできない」
「そしてそれは我々のことでもあるのだよ。これがテストだとしたら、いったいどちらが試されているのだろう。カンパネルラ君、もしチューリングに会うことがあったら聞いてみてくれないか。隔ててある二人の、どちらがいったいそうなのかを」
「多分両方だと、僕は思います、ゲーデル先生」
「私も同じ考えだよ、カンパネルラ君。例えば、人は同時に話し出すことはできない。かわるがわる聞き、かがるがわる話すことしかできない。常に明暗の入れ替わる、半透鏡で隔てられた二つの小部屋にいる者たちのように、互いに立場を入れ換えながら、その度片方は発することしかできないし、もう片方は受け取ることしかかなわない。そして見つめられるというのはね、カンパネルラ君、視力を失うこと、盲目になることをいうのだ。そして同様に大声を出しながら耳をすますことはできない。……カンパネルラ君、どうやら外はもう暮れ方だ。窓には我々の姿が映り、そしてその向こうにかすかに家路を急ぐ人の姿が見える。明りをつけてくれないか。夜の中でこうして二人だけ「明るい部屋」に置き去りにされたみたいにしていようじゃないか。ほんの少しの間だけ」 inserted by FC2 system