ベルクソン × バシュラール

質料と元素


 バシュラールはベルクソン的な流れを切断し、そこに上下の運動を見た。即ち「瞬間」の概念の提示である。むろんベルクソンにとっても「運動」は本質的なものであって、ベルクソンが「運動」を見落としていたわけではない。むしろ、時間についてと同様、「運動」の本質についても、我々の思考はベルクソンに依拠するところが大きい。だが、ベルクソンの運動は、いわは時間軸(流れ)にそった水平的・直線的なものであるとバシュラールは考えた。その意味では、ベルクソン的な運動はまだ十分にダイナミックなものではないのだ(→ベルクソン対バシュラール 流れと切断)。
 バシュラールが想像力について述べ詩学を構想し始めたのも、こうした力動性に依拠してのことである。その際にバシュラールの援軍になったのは、想像力の原器に置いた物質性だった。だが、実は「物質」と言ったのでは正確ではない。バシュラールの発想の元には、むしろおもいきり古典的なアリストテレスの理論がある。
 =======INTERMISSION=========
 対戦型哲学史ミニ:アリストテレス対バシュラール アリストテレスは「運動」の原理として、可能態デュナミスと現実態エネルゲイアの概念を提出した。植物が種から芽生え、やがて花を咲かせ実を付けるように、「運動」ないし「変化」とは可能態から現実態への変態=成長なのだと。アリストテレスは、そのように実現した姿を「形相」いまだだ形を持たないものを「質料」と呼ぶ(→アリストテレス対ライプニッツ)。そして、バシュラールが想像力の基盤に置くのは、こうした「質料」なのである。力動性とはまさしくアリストテレスの自然学の本質そのものなのである。ただし、アリストテレスが目的論的な見地から、形相(実現されるべき目的)を重視したのと違って、バシュラールは可能性を内蔵する物質=質料(素材)に着目するのである。
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 さて、バシュラールの言う質料とは、具体的には、水・空気・火・土であり、これはエンペドクレスによって初めて提示され、アリストテレスにも受け継がれた四元素説による(→ヒポクラテス対デューラー)。単純に言えば、アリストテレスのいわゆるトポス論は、これら元素の持つ自然な場所(トポス)のことを言う。水や水を含んで湿った土は重い→下へ移動する、空気や火は軽い→上へ移動する。バシュラールの言う想像力は、それと同じく質料そのものに内在する力(可能性)によって上昇し、下降する。
 しかし、これがベルクソンになかったのはある意味で当然である。ベルクソンはそうした意味の固定された可能性を否定し、むしろそれを内的なエネルギーとしての潜在性に置き換えていたからである(→ライプニッツ対ベルクソン)。ベルクソンが言いたいのは、可能性そのものが既に過去にものだということである。むしろ、ほんとうの可能性があるとしたら、それは未来に向かっての展開進化の方向にこそあるのであって、それは未決定であり、まだ生まれていないかつてなかったような創造的なものでなければならない。それは想像力の及ぶようなものではないのである。
 


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