ウィトゲンシュタイン × ベンヤミン

B&W


B &W.
Black & White?
Benjamin & Wittgenstein?

 「ブルジョア階級の子どものなかに、大都市の経験が沈殿しているような」19世紀末のヨーロッパ。
Ludwig Wittgenstein. 1889年4月26日ウィーン生。1951年4月29日ケンブリッジ没。
Walter Benjamin. 1892年7月15日ベルリン生。1940年9月26日ポル・ブウ没。
 1906年。ウィトゲンシュタインは機械工学を学ぶべくベルリンのシャルロッテンブルグ工業大学に入学する。ベンヤミンが通っていたフリードリヒ=ヴィルヘルム=ギムナジウムは、そこからさほど遠からぬ場所にあった。しかしこの年ベンヤミンはベルリンを離れチュービンゲンのハウビンダ林間学校に学んでいた。ベンヤミンがギムナジウムに戻るのは翌1907年のこと。更にその翌年、1908年の春にウィトゲンシュタインはベルリンを離れイギリスへ渡ってしまう。
 後年「哲学者」と呼ばれることにもなる二人が同じ街で過ごしたのは、ほんの一年程の間ということになる。
 1907年ベルリン。まだ何者でもなかった18歳と15歳の二人の学生はこの街のどこかで出会うことがなかっただろうか。凧上げをするウィトゲンシュタインの横を遊歩するベンヤミン。あるいはヴェンダースの天使達が訪れたあの国立図書館で二人が同じ本を探したり、同じ雑誌のページをめくったりしていたら…。もっともあの図書館は1960年代に建てられた「モダニズムの悪夢」だそうだからこれは想像するだけ空しいのだが。
(でも山田風太郎だったら、やっぱり二人を合わせてただろうな・笑。)
 1918年、第一次世界大戦終結。
 1918年、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』脱稿。
 1919年、ベンヤミン「運命と性格」執筆。
 「『論理哲学論考』の影響は、やがてケンブリッジからオクスフォードへひろがる。それは"インフルエンザのように"イギリスの哲学界に蔓延した。」
 「わたしの努力や関心はドイツでは、わたしと同世代のひとびととのあいだでまったく孤立している感じですが、これに反してフランスでは、個々の人物がいたりシュールレアリスムの運動があったりして、わたしはかれらのなかに、わたしにもかかわるものが脈打っているのを見るのです。」
 1933年ベルリンを離れたベンヤミンは以後「亡命者」としてその生涯を送る。ウィトゲンシュタインは1938年イギリスに帰化する。二つの星はあのベルリンでの一瞬の交錯の後、ヨーロッパという天球に別々の軌跡を描いて駆け抜けていったのだった。
B &W.
Black & White?
Benjamin & Wittgenstein?
Boys & World!


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