カルナップ × ベルタランフィ

統一科学


 論理実証主義はある意味で「統一科学」運動だったとも言える。彼らが「科学」とか「科学的」ということを標榜したのは、伝統的に哲学の中心とされてきた形而上学が嫌いだからだ。しかし、なぜ科学の「統一」なのだろう。これはしかし逆立ちした問いであるかもしれない。なぜなら、もともと哲学は科学の外になかったのであって、そうである時には科学も分裂などしていなかったからである。つまり、そんな時代には科学を統一する必要もなかったのである。その中で「原理的な」問題、「本的な」問題を扱う部分が、次第に「哲学」として独立するようになったのは、逆に、「科学」が「個別科学」として独立して行ったからである。
 だから、論理実証主義が「統一科学」を語るとき、彼らこそ最も「哲学的」だったのである。親離れしていった子供たち(個別諸科学)に恨みを抱きつつ、無視することしかできなった自称「哲学=形而上学者」たちは、その意味でもはや「哲学」者ではない。論理実証主義は、極めて正統的で、「まともな」哲学運動なのである。世界は一つなのに、知の在り様が分裂しているのはおかしいではないか。
 論理実証主義者の中でも、統一科学に積極的な発言を行なったのがノイラートである。彼の考えでは、統一科学は科学とは別の領域(メタ・レベル)にあるものではなく、諸科学の内部にあって、相互関係を分析し、汎通的な言語によって連帯させようとするものだった。当然のことながら、新カント派的な、文化科学・精神科学(歴史学、文学、心理学、社会学)と自然科学との垣根もとっぱらってしまう。これを受け継いだカルナップは、科学理論を厳密に形式化することによって、その基本的な論理構造(科学言語の論理的シンタックス)を取りだすことを目指した。
 しかし、論理実証主義運動の変転の中で、カルナップの考えは強力に働くと同時に、運動そのものの多様化をもたらした。なぜなら、カルナップによる還元主義は、それ自体「統一科学」志向の求心力ではあったが、その還元主義の許容範囲を巡って、様々な修正が行なわれることになったからである。最初主張されたていた、直接経験への還元は、厳しすぎるものだとして、次第に矛先は鈍って行った(そもそも、「直接経験」とは何かのかが問題であったのだ)。こうした立場を「現象主義」と呼ぶ。これに対してカルナップは、いわゆる「物理主義」を採って、物体の運動を記述するような命題に検証の基準を置いた。
 しかし、それによって多様化し、瓦解して行った論理実証主義による統一科学運動が、やはり一つのまとまりを持っていたことが分かるのは、むしろ、別種の統一科学の提唱との対比によってである。例えば、ベルタランフィは、「一般システム論」と呼ぶものを提唱している。彼の考えでは、ある系の分析は、その系を構成する諸要素の分析に解消されることはない。むしろ、全体への統合ないし組織化の構造が、種々の段階で反復的に見られることが重要である。いわば、諸科学は同一地平へと還元されるのではなく、同型的な構造の階層を構成することによって統一されるのである。
 これは明らかに生物学からの発想であり、全体主義(ベルタランフィ自身は「パースペクティヴィズム」と呼んだ)であり、伝統的に「有機体論(オルガニスムス)」と呼ばれてきたものである。しかし、彼自身の考えでは、これは伝統的に機械論対生気論として対立してきたものの超克であり、より高次の調停である。生物学においてこそ、精神・文化諸科学と自然諸科学とが幸福にも出会うのである。
 こうした全体論との対比の上で見れば、カルナップの還元主義が物理学に範型を置いていたことの意味は見通しやすい。それは、デモクリトス的な原子論(デモクリトス対エピクロス)の復興であるとも言える。


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