ハイデガー × 木村敏

時間と自己


 木村敏の精神医学に関する試みは、既に狭い意味での精神医学の領域を超えて、哲学・思想的な拡がりを持つものとなっている。そうした拡がりは、フッサール、ハイデガー、ベルクソン、西田幾多郎、和辻哲郎らの哲学に対する独自の読解から得られたものである。しかし、彼の精神医学理論は、そうした哲学的な成果の単なる摂取だけではなく、臨床の現場にあって、実践的に獲得されたものであることも忘れてはならない。ひょっとすると、木村敏は哲学の理論的成果が実践的な場面と結び付いた最良のケースであると言えるかも知れない。あるいは、そこには彼が読み込んだ哲学者たちへの批判的な応答が含まれているかも知れない。
 木村の理論の鍵概念は、代表的な著作の一つである『自己・あいだ・時間』に集約して表されている。人間を「あいだ」において捉えること、時間との関わりにおいて捉えることである。勿論この二つの観点は切り離されたものではないことは言うまでもないが、敢えてその由来を探れば、前者に大きく影響したのが和辻の風土論、倫理学であるとするなら(これについては『人と人との間』という著作がある)、後者に作用したのがハイデガーの時間論である(→ハイデガー対和辻)。
 後者については後に『時間と自己』に、いささか図式的な形で整理された。ここではこれを簡単にまとめておこう。二大精神病とされる精神分裂病と欝病については、多くの医学者たちが既に所論を著しているが、木村はそれらを時間との関わりにおいて整理し、分裂病者を「アンテ・フェストゥム」意識において、欝病者を「ポスト・フェストゥム」意識において捉える。フェストゥムとはつまり祭であるが、分裂病者は「アンテ・フェストゥム=祭の前」的であり、言い換えれば常に未来の祭を先取りするような意識に生きている。逆に言えば、分裂病者は既に終わってしまった祭=過去については驚くほど無関心であると言う。そして、分裂病者にとって全く意味のない過去にどこまでも拘るのが欝病者だというのである。
 分裂病者は、常に自己との乖離に悩み、自分が安住できるような根拠がないことに苦しむ。そこにあるのは「ずれ」の意識、「流れに乗れない」という不安であり、彼らは「自分というものから一刻も眼を離すことができない」(ある患者の言葉)のである。彼らの生はいわば「差異」そのものであり、常に他者性、未知のもの、未来的なものへと向かっている。これに対して「差異」ではなく「同一性」に囚われているのが欝病である。簡単に言えば彼らは保守的であると言えるかも知れないが、彼らが囚われているのは常に「とりかえしがつかない」という意識、まさしく「ポスト・フェストゥム=あとのまつり」的な意識(後悔)である。そして、こうした時間意識の背景には、分裂病者の他者親和的な志向とは逆に、共同体的な時間への親和性がある。彼らが苦しむ「同一性」とは、そうした共同体における「役割同一性」である。我々は普通、様々な社会的役割を担っているが、それらの役割の間には矛盾が生じることがある。しかし、そこからすぐさま病的な状態に陥ることにならないのは、それらの役割に対して我々が何らかの距離を保つことができるからである。そうした距離を保つことができず、役割に過度に同一化するのが欝病者の苦しみの源である。
 我々は、こうした二種の時間意識(木村は更に「イントラ・フェストゥム」、つまり祭のただ中にある意識として癲癇の場合を取り上げているが)の対比を、ベルクソン的な考えにそって、過去=空間=決定性/未来=時間=自由と対応させることもできるが、木村の発想はより直接的にはハイデガーに由来するものである。分裂病者の未来志向の意識は、ハイデガーの言う「投企」概念への精神医学的な対応だと言える。しかし、ハイデガーへの木村の傾倒にも拘らず、両者の立場、あるいは、彼らの出発点ははっきりと違っている。なぜなら、ハイデガーの時間論には明示的ではないにせよ、価値判断が加えられているからである。つまり、ハイデガーは我々の日常的な状態を非本来性と呼び、そうした堕落した在り方に対して批判的だからである。そこでは下らない「おしゃべり」に埋もれて、本来的な自己へと向かって自らを投げ込むような「投企」は見られないのである。そして、単純に見るならば、こうした本来的な自己へと向かうことの非日常性は、健康者の日常性に対する精神病者の非日常性に対応するように見えるのだが、しかし、飽くまでハイデガーは精神病者を認めなかった。むしろ、病者は堕落しているのだ、と。「わたくしのドイツ語のまずさもあったのだろうけれども、ハイデガーが精神病的なありかたを一貫して「非本来的」で「頽落」した存在様態としかみなさず、そこに本来的な実存への絶望的な努力を見てとろうとしていたわたくしの考えとの非常なへだたりを感じ………結局あとに残ったのは欲求不満だった」(『形なきものの形』104頁)。
 木村は後に、この時の自分を、人間学的な立場からハイデガーを見ていたのであって、十分にハイデガーの意図を理解できていなかった、と述懐している。つまり、ハイデガーの「存在論的な差異」のことである。しかし、木村の自己批判にも拘らず、こうしたハイデガーの態度には、ハイデガー理解にとっての決定的な重要性が秘められているのではないだろうか。




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