トマス × ライプニッツ

世界は最善か


 トマスは『神学大全』第一部第二十五問題第六項で「神はもっと善いことが出来るか」を問題にしている。第二十五問題は神の能力を論じる箇所で、神の力とは有り体に言えば世界を創造する力のことである。この第六項は、そうした神の力が行なう創造の結果としての世界が、今この世界よりも善いものであることが出来るか、を問題にしているのである。
 この問題が厄介なのは、単に神の能力が問題になっているだけではなくて、世界の秩序が問題になるからである。神の能力だけが問題なら、神にはまだ余力があると答えることは簡単だ(神の能力にはまだまだ余力があるのか、については既に第五項で問題にされ、イエスと答えられる)。しかしその延長で、神はもっと善い世界を創れたとすると、逆に言えば、この世界は神の創れる最善の世界ではないことになってしまう。ではなぜ神はもっと善い世界を創らなかったのか、という難問が出てきてしまうのだ。しかし、トマスは、この問題にイエスと答える。第五項で、神に余力があるとした以上、世界も今よりももっと善い世界がなければならないのだ。
 中世ではアベラール(アベラルドゥス)らが主張していた世界の最善説(いわゆる「オプティミズム」)は、近代に入ってライプニッツによって強力に主張されることになる。ライプニッツの考えでは、トマスのように「もっと善い世界が創れた」と主張することは、幾つもの矛盾を抱えることになる。「神はなぜ世界をもっと善くしてくれなかったのか」という問題もそうだし、逆に、この世界が最善のものでないとしたら、神自身がこの世界を創ったり選んだりした理由=根拠もなくなってしまう、という問題が起こる。もし神がそうした理由もなしに世界を創ったのなら、神の創造への意志は恣意的なもの、勝手気ままなものとなってしまうではないか。神は他のどんな世界よりもこの世界が善いからこそこの世界を選んだのだ。だから、この世界は最善なのである。
[「トマス対ライプニッツ 神の自由、世界の最善」に続く。]


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