プラトン × ハイデガー

異国風哲学の存在忘却


 ハイデガーは、アリストテレスがプラトンが南イタリアのピタゴラス派の影響の下に出発したと記している点を強調して、プラトン哲学はギリシャにとって異質なもの、異国風なものであると述べている。
 ハイデガーがここで言いたいのは、いわゆるプレ・ソクラティカーたちのフィシス(自然)についての思索と、プラトンのイデア論から始まる「哲学」との間には決定的な断絶がある、ということである。
 ハイデガーによれば、プレ・ソクラティカーたちのフィシスとは、単なる物質的自然、死んだ自然ではなく、むしろ生成する自然、そして存在の根源そのものである。これに対して、プラトンが数学的な世界観(ピタゴラス主義)によって持ち込んだイデアという不変なるものは、存在そのもの(Sein)ではなく、あるものが「何であるか」という意味でのもの(Was-Sein)でしかなかった。この「本質−存在」に対置されるのが、現実に存在している物事としての「事実−存在」(Dass-Sein)である。プラトンが「本質−存在」を重視したのに対して、アリストテレスは「事実−存在」としての個体に注目した。これによって「形而上学」が始まったのだ、とハイデガーは言っている。
 しかし、ハイデガーは、プラトンはもとより、アリストテレスにも味方しない。なぜなら、「事実−存在」というものは、そもそも「本質−存在」と対になって現れたものであるにすぎないからである。むしろ、「本質−存在」と「事実−存在」という区別の根源にあるもの、その区別によって引き裂かれたもの、つまり「存在そのもの」としてのフィシスこそが重要なのだとハイデガーは考えるのである。その意味でハイデガーにとって、アリストテレスはプラトンよりもましだが、アリストテレスもプラトンとワン・セットなのであって、ここで形而上学が始まると同時に「存在そのもの」が隠蔽され、忘却されたのだとするのである。これがハイデガーの言う「存在忘却」の歴史の始まりである。


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