フッサール × ハイデガー

現象と存在


 「現象学」というものを始めたフッサールの一番弟子と思われていたハイデガーは、『存在と時間』をフッサールに捧げたが、同時にそれは強力なフッサール批判でもあった。
 フッサールの「現象学」は、我々の意識に直接的に現れてくるもの、つまり「現象」を出発点にするということだった。これは言い換えれば、そうした現象以外のものを前提にしない、ということである。こうした無前提から始めることが、フッサールの言う「厳密な学」の基本である。
 ハイデガーは、『存在と時間』を「現象学的な方法」に則るのだと言う。しかし、その序文で「現象」の概念を、ギリシャ語の語源的な解明から始めた時、既にその「現象」はフッサールの言う「現象」ではなかった。
 ハイデガーは、「現象」とは、元々は「自らをあらわにするもの」という意味だったとする。これはなるほど、「意識に直接与えられたもの」というフッサールの現象概念をギリシャ語義によって補強しているように見える。しかし、フッサールの現象学は、現象の学であるというよりは、現象を認識している我々の「意識」についての学なのである。だから、ハイデガーが「現象」という時に、フッサールのそれから抜け落ち、同時にフッサールへの批判となっているのは「意識」という観点についてなのである。
 フッサールは数学から出発しており、ほとんど哲学のこと(哲学史)を知らなかった。その点で、哲学者である以上に哲学史家であったハイデガーから見れば、フッサールの考えは極めて幼稚なものであり、精々近代主観性の哲学の枠を超えるものではない。実際フッサールは、後に哲学の勉強をしたときにも、熱心に読んだと思われるのはデカルトでありカントという、近代主観性哲学の王道だった。これに対してハイデガーの視線は、近代を遥かに遡って、否、そもそも哲学が成立したソクラテス=プラトン以前の思索者たちに向けられていた。ハイデガーの理解では、彼等プレ・ソクラテティカーたちは、「フィシス(自然)」について語ったが、それはプラトン以降、まして近代的な意味での「自然」ではなく、「存在」そのものであった。
 ここから分かるように、ハイデガーが「現象」という語に込めていたのは、実は「存在」であり、フィシスなのである。存在としてのフィシスは、我々の認識の対象となるようなものではなく、むしろ、我々の存在の根源である。そうした存在そのものがあらわになることをハイデガーは、ここで「現象」と呼んだのである。
 しかし、『存在と時間』ではまだ「意識」の立場が残っている。『存在と時間』が前編だけで放棄されたのはこのためだと思われる。この後のハイデガーは、「ケーレ」と呼ばれる転回を通して、更に異なった立場へと移っていく。その展開を標語的に「存在了解から存在生起へ」と、彼は呼んでいる。「存在了解」とは、『存在と時間』の基本的な立場であり、我々(現存在としての人間)が存在について何らかの意味で理解を持っているということを前提としていた。ハイデガー後期では、この立場は放棄され、むしろ、存在の方が自ら現れてくる、生じてくるのだという観点がとられる。
 フッサールは、始めは、『存在と時間』の意図が全く分からなかったと言われている。彼がハイデガーの裏切りに気付いたのは、ずっと後のことだった。


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