ディングラー × カルナップ

相対性理論論争


 ディングラーとカルナップとの相対性理論を巡る論争は、一言で言えば、相対性理論批判(ディングラー)と相対性理論擁護(カルナップ)という非常に分かりやすいものである。そもそもアインシュタインの名前が巨大になったのは、相対性理論そのものの内容である以上に、それが物理学(の基礎付け)に引き起こした理論的反省のためであった。ベルクソン、カッシラーなど、相対性理論との対決を試みた哲学者は少なくない。しかし、同時に、そうしたことは物理学者には関係ないことでもあった(物理学者たちにとってより深刻だったのは量子力学の方である)。
 ディングラーは、後に論理実証主義に大きく影響を与えた大物カルナップに比べて、遥かに知名度も劣る科学哲学者である。ディングラーは、当時すでに陳腐と言えるような「経験論」批判を展開し、アインシュタインの相対性理論の研究にあっても、重要なのは経験・観察なのではないと考えた。むしろ、科学は我々によって構成されるのであって、受け入れらるのではない、と。これを彼は「総合」の手続きと呼ぶ。そして、その際に用いられる図式(シェーマ)は、経験的には得られない規約である。その意味では、この「総合」は、後天的ではない総合、即ち「純粋総合」である。これは、後の科学論の王道からずれた議論であった。アインシュタイン以前の科学論、遡ればカント的なアプリオリズムの議論である(彼の言葉使いそのものがカント的である。また、ディングラーが影響を受けたフッサールの「論理学研究」は論理学に関するアプリオリズムをとっている)。
 ディングラーは、そうした図式の最も根本的なもの、源基となるものの過程を辿ろうとする。その基底的なもの、即ち彼の言う「剛体」は、ユークリッド幾何学に従う理論的仮想物である。ディングラーの相対性理論批判は、相対性理論が非ユークリッド幾何学に依存する根拠が得られないというものであった。つまり、剛体の過程において、ユークリッド幾何学に依存している以上、経験がそれに会わないからといって、非ユークリッドに頼るということはできないのであって、それはいわば幾何学に対する裏切りである。
 これに対してカルナップは、ディングラーとの個人的な文通にもよりながら、ディングラー理論の摂取を通じて彼自身の思索を展開して行くことになる。その結果、彼はディングラー(とポアンカレ)の議論を評価しつつ、その議論を下位に収めてしまうような、より包括的な理論の提出に至る。
 しかし、ディングラーが着目したのは、むしろ、科学者の技術的・実践的な認識場面での活動の基礎付けの問題であったのである。カルナップが包括的な議論の構成に向かったのは、ディングラーが提出した問題の微妙さそのものを排除することによってであった。ディングラー自身が注意しているように、彼の「剛体」を巡る思索にとって大きな契機となったのは、アッシェッフェンブルクの有名なザウター=メスナーの精密器械工場で、労働者自身の制作活動を実見したことであったというのは、興味深い。
 結局この論争はカルナップの勝利に終るが、しかし、その勝利によってもたらされたものは、いわば、相対性理論の調教であった。つまり、相対性理論の衝撃から、その革命性を認識し、物理学の根底的な反省の必要を感じとったディングラーの議論の忘却は、相対性理論の問題性そのものの滅却となってしまったのである。


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