デカルト × ライプニッツ

運動量と力


 「力」という概念は時に物理的、時に哲学的、時に心理学的とさまざまな意味で用いられ、しかも論者によって定義が曖昧であったりして非常な困り者である。中でも有名な論争が、デカルトとライプニッツの間で起こった。
 デカルトの「力」概念は、要するに運動量のことであった。つまり、質量と速度の積(mv=m×v)である。これに対して「デカルトの驚くべき誤謬について」という論文を書いたライプニッツは、質量と速度の二乗との積(m×v×v)を導入する。
 1キロ・グラムの物体Aを4メートルの高さまで上げるのと、4キロ・グラムの物体Bを1メートルの高さまで上げるのは同じだけの「仕事」が必要である。ところが、ここで保存される力をデカルト式の「運動量」だとすれば、物体Aの場合、4×1=4であり、物体Bでは1×2=2となって、異なる(ガリレイの落体法則では、落体の速度は落下距離の平方根に比例するから、物体Aと物体Bの速度では距離4の平方根2分だけ倍になるからである)。これが、ライプニッツ式の力の定義では、A:4×1×1=4、B:1×2×2=4となって等しくなる。だからライプニッツは、俺の方が正しい(保存される「力」はデカルトの言う運動量ではない)と結論する。
 これは要するに定義の問題で、議論は実はすれちがっている。しかし、ライプニッツがこの点に拘ったのは、それが彼の形而上学に関わる問題だったからである。ライプニッツの考えでは、デカルトの運動量としての力は、真の力ではなく、死んだ力(死力)である。それは、アプリオリに数学的な計算の結果導かれたものである。それに対してライプニッツ自身の「力」は「活力」であり、単なるアプリオリなものではなく、我々の知覚経験に合致するものである。実際、4キロ・グラムの物体を持ち上げるのは、いくら距離が短いと言ったって1キロ・グラムの物体を持ち上げるよりは苦労するではないか。
 この論争は、それぞれの派の論争となって拡がり、後に若いカントも『活力測定考』という自信満々の論文を書いている。この論争に決着を付けるのは俺だ、というわけである。しかし、ケーニヒスベルクの田舎にいたカントは知らなかったが、この問題はダランベールによって既に解決された後だった(しかも、カントは間違っていた)。


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