ニュートン × ヘールズ

引力−斥力説


 我々がニュートンの仕事として知っている数学的自然科学(彼の代表作『自然哲学の数学的原理』=いわゆる『プリンキピア』に表現されている)が、彼の仕事の半分でしかなかったことは、いわゆるケインズ草稿(博打で稼いだ金でケインズが競り落したニュートンの未刊行草稿群)の研究などからほぼ明らかになった。聖書の年代測定学などを除いて、自然学関係に限っても、エーテル論、引力−斥力説などは『プリンキピア』では排除されている要素である。
 ニュートンが彼自身の自然学の方法を定式化した「総註」(『プリンキピア』に対するバークリーやライプニッツの批判に答えて『プリンキピア』第二版に付された)で述べている名高い言葉を用いれば、その方法とは、力の原因といった思弁的(形而上学的)な問題には立ち入らず、現象の数学的記述のみに限定するというものであった。しかし、エーテル論や引力−斥力説は、こうした現象主義的数学主義を超えて、ニュートンが本来目指した統一的な自然像の構築に関わるものである。
 引力−斥力説は、物理学よりも、後の化学の発展に寄与し、また、カントやシェリングの動力学に繋がるものである(→カント対シェリング 動力学)。カントやシェリングが注目したのは、引力と斥力という対立する二つの力のダイナミズム(力動性)であった。
 こうした後の展開に対して、ライプニッツとの論争で知られるクラークに代表される初期のニュートン派たちが主要な関心を抱いていたのは、引力の方であった。彼らにとっては、引力と斥力という二力によって自然の原理的な(いわば哲学的な)説明を行なうことは、ニュートン的ではなかったのである。
 これに対して、引力−斥力説をまともに受け取り、むしろ生理学上で展開した特異な存在がヘールズである。生理学の分野を開拓したのは血液循環理論のハーヴェイであるが、動物の動脈と静脈の血圧測定や心臓の体積、表面積と動脈の直径の測定によって動物生理学を飛躍させたヘールズは、更に植物生理学の確立に至る。植物における樹液が、動物における血液とは異なって、循環するのではなく下から上へと一方的に流れることを発見したのが彼である。
 しかし、こうしたいわば自然科学的な成果とともに、彼の画期的な『植物計量学』は、生物の生命維持にとって「空気」を不可欠と考え、この空気における両性的性格を基盤として、統一的な自然像を示そうとしている。その両性的性格即ち引力と斥力である。なぜ二つの力が必要か?それは、もし引力だけであったなら、全ての物質が一緒になってくっついてしまうからである。したがって、引力には、それと対応するだけに斥力が存在するのであり、この二元性によって物質の粒子は活性化されるのである。
 こうして、初期ニュートン派における引力中心と、ヘールズにおける斥力への着目を経て、ニュートンによる引力−斥力説は、後にボスコヴィッチによって大成されることになる(→ニュートン対ボスコヴィッチ)


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