ルクレティウス × カント

原子論と宗教


 自然論に関してカントは、「純粋理性批判」以前の、いわゆる前批判期には、後に彼が採用することになる力動論ではなく、原子論の立場を採っていた。なるほど、カント自身は自らの原子論の立場を「自然単子論」と名付けている。これま勿論ライプニッツの単子論(モナドロジー)に由来する命名であり、当然観念論的(精神的)原理の優位を主張したものと予想されようが、実際は、ヴォルフによって改変されたモナドロジーをベースにしており、基本的に古代原子論の立場と変らない。ヴォルフは、モナドと精神的原理とを切り離し(→ライプニッツ対ヴォルフ)、モナドを単なる原子と変らない物質構成のための基本要素としていたが、カントが採用したヴォルフのそれは、要するに原子に他ならないからである(→エピクロス対ライプニッツ)。
 こうして、実質的にはエピクロス主義と変りない立場でありながら、エピクロス−ルクレティウスとカントとが置かれていた時代状況は全く異なっていた。即ち、キリスト教の有無である。
 エピクロス、そして特にその継承者であるルクレティウスの作品の意図は、もとよりエピクロス説の紹介普及であった(実際、後にエピクロスの作品のほとんどは散逸したため、我々がエピクロスについて知るには、ルクレティウスの作品「自然について」が不可欠の資料となっている)。しかし、ルクレティウスの作品には、エピクロスとはまた違ったバイアスがかかっていることも確かである。ルクレティウス固有の意図は、原子論的機械論的自然観による宗教の批判である。宗教は、人々の不安の産物であり、恐怖によって人々を支配する。こうした「宗教の厳しい束縛から人々の心を解放すること」が彼の意図だった。
 しかし、これはキリスト教がなかったために可能な批判だった。確かにルクレティウスが批判したような宗教はローマ時代にも存在した。しかし、後に確立されたキリスト教は、ルクレティウスの希望とは逆に、人々をより強力に縛ることに成功した。それが啓蒙主義との軋轢の中でなお勢力を保ち、無神論者とされることは命を奪われるも同じであった時代、それがカントの時代である。したがってカントは、自然論においてエピクロス主義を採用しながら、同時にこの自然観が神学と矛盾しないこと、むしろよく調和することを主張し、自己弁護に努めることになる(「天界の一般自然史と理論」序文)。
 エピクロス−ルクレティウスの考えによれば、原子は、デモクリトスのような単純な自由落下によるのではなく(→デモクリトス対ルクレティウス)、クリナメンと呼ぶ微妙な偏差、傾きを持つとされる。これは必然性を基盤とした機械論的自然論ではなく、偶然性を基礎とし、人間の自由を導き出そうとする機械論の立場であった。
 これに対して、カントは、(クリナメンまで採用しているにもかかわらず)こうしたルクレティウスの立場は非理性(偶然)から理性(秩序)までをも導き出すようなものだと批判し、むしろ自分の説は、自然の必然的理性的秩序を前提するものだとする。これがキリスト教護教論に繋がるものであることは言うまでもない。なぜなら、そうした「美しく秩序だった全体」としての自然観こそは神の自然への顕現を証明するからである(こうして、自然の秩序から神の存在を証明する論法を、目的論的、あるいは自然神学的証明と呼ぶ→カント対デカルト 神の存在証明2)。
 こうして、カント自身の特徴付けによれば、エピクロス−ルクレティウスの原子論は「無神論的」であり、彼自身のそれは「有神論的(=キリスト教的)」原子論なのである。


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