ヒポクラテス × デューラー

メランコリア


 医学の始祖とされるヒポクラテスは、四つの体液(粘液、血液、黄胆汁、黒胆汁)を区別したことで知られる(→エンペドクレス対ヒポクラテス)。
 このことは、それまでのアルクマイオン派の、一種呪術的な医術の立場から人々を解放し、科学的な(機械論的な)医学を立てたとして評価される。特に、「神聖な病について」論文に見られるように、当時、癲癇は神霊が人間に干渉した結果起こるものだとされていたのだが、ヒポクラテスはそうした神秘的な説明を斥け、体液という、いわば自然的な原因を唱えたのである。
 しかし、エンペドクレスや、後のパラケルススからゲーテに至るまでの四元素説がそうであるように、これらの体液区分は、近代化学に言う元素とは異なり、一種の象徴としても機能した。粘液は水の性質を持ち、冷たく、したがって冬と親近性がある。血液は春、夏は黄胆汁と、そして黒胆汁は秋と親しい。したがって、人間は季節によって変化するし、病気の種類も変化すれば、薬も変えなければならない。また、人によってはそのバランスの崩れが恒常的になっている場合があり、それが性格(気質)や体質の起因である。
 ヒポクラテスはこの四分類によって、病気をいわば差異化したのであり、それを身体内部のレベルで固定したのである。クレッチマー、ユングらの性格分類は、基本的にヒポクラテスの枠組みの変形であるし、現在でもゲームから信仰のレベルまで、様々に語られる血液型占いなどはこの四体液説のなれの果てであるとも言えよう。
 こうして四体液のバランスが崩れると性質が偏ったり、病気になったりするわけだが、しかし、このことは逆に言えば、人間の身体にはこうした四つの要素がバランスよく備わっていなければならない、ということでもある。四つの体液の組み合せが人間の性質や体質を差異化する一方で、これらの均衡による統一的な働きこそが人間を健康にし、また世界ないし宇宙全体の秩序を構成している。
  15世紀の画家、アルブレヒト・デューラーは、当時の確立された古典教育を受けていなかったために、ラテン語こそできなかったが、学術に幅広い興味を持ち、特に作図の幾何学的原理について当時最新の知識を身に付けた人で、その方面の著作は広範な影響を与えた。
 こうして、芸術家であると同時に数学者、思想家としてのデューラーは、美学者の好む題材を提供してくれているが、その中でも「メランコリア」の名で知られる一連の作品は人々の注目を集めている。要するに、そこにある寓意(アレゴリー)が人々を引き付けるのである。そのアレゴリー解釈にヒントを与えるものの一つがヒポクラテス以来の四体液説である。しかし、エンペドクレス=ヒポクラテスの比較的明解な四区分は、デューラーの当時盛んだった占星術と結び付き、遥かに複雑な体系となっていた。
 中でも、ヒポクラテスが黒胆汁によって起こるとしたメランコリアは、占星術との関連では土星の影響と結び付けられ、また、気質の上では憂鬱質、凝り性と関係付けられた。また、そうした気質は建築家、芸術家、幾何学者などと親近性を持つとされ、芸術的、ないしは創造的な能力の根源であると解釈される。
 メランコリーと創造性(これは、後に一般化されて狂気と創造性等として論じられもする)といった特徴付けは、ヒポクラテスの時代、古代ギリシャでは考えられないものである。なぜなら、そもそも古代ギリシャ人は「創造性」というものに全く重要性を置いていなかったからである。
 創造性が重要な、優れた能力として評価されるようになるためには、やはりキリスト教の影響が不可欠であった。つまり、神が行なう世界の創造とのアナロジーである。キリスト教(ユダヤ教)は、神の絶対性を強調するために、世界の創造は「無からの創造creatio ex nihil」であると説いた。神は、無から、全く新に(といっても、それ以前には何もないのだが)、世界を産み出すのである。
 しかし、こうした神の創造の力が、芸術家の創造と関係付けられるためには、ルネッサンス的なユマニスム(人文主義、人間主義)の登場が必要であった。人間の位置が高められ、神の位置が相対的に低下したとき、初めて人間(芸術家)は芸術家として創造性を認められることになった。勿論、それ以前の「芸術家」は職人だったのである。


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