ライプニッツ × ヴォルテール

楽観論


 ホワイトヘッドの言葉を借りれば、十七世紀は「天才の世紀」である。デカルト、パスカル、ロック、スピノザ、ライプニッツ。哲学以外では、ケプラー、シェークスピアーの後期、ルーベンス、ミルトン、レンブラント、ヴェラスケス、コルネイユ………こうしたリストは(筆者の知識の浅薄によって)次第に尻すぼみになるのが常である。
 しかし、そうした天才の中の天才ライプニッツについては、後世への影響という観点から見れば、奇妙な捻れがある。つまり、ライプニッツの思想は長い間埋もれていたままの部分と、一面では相当な普及を示した部分もあったからである。ここからライプニッツの思想には、秘教的な部分と公教的な部分があると言われる。我々が今ライプニッツの思想の核心を表現した「モナドロジー」として知っている論文が公刊されたのは、実はそう古いことではない(1840年のエルトマン版ライプニッツ著作集)。「刊行されたものでしか私を知らない者は、私を知らないのだ」(ブラッキウス宛の書簡)というライプニッツの言葉は、彼の秘教的な思想をほのめかすものであった。
 一方の公教的な部分、それは『人間知性新論』や『弁神論』に表現されている。これらは、分量的に言っても「モナドロジー」とは比べ者にならない「大著」であるが、この「大著」が「主著」でないところがライプニッツなのである。これらの「大著」は、前者はロックへの、後者はベールへの逐条的な反論であって、ライプニッツ自身の思想を十分に表現しているとは言えない。しかし、ライプニッツの哲学の中心が再発見されるまで、特に十八世紀では、ライプニッツの思想と言えば『弁神論』の楽天主義だったのである(『人間知性新論』は刊行される予定だったが、批判の相手であるロックの死によって中止された)。この世界はすべて神の善意によって動かされているのであり、可能な限り最善の世界なのだ(→ライプニッツ対ベルクソン)。
 イギリス古典主義文学の大御所ポープは、こうしたライプニッツの楽観論を祖述して『人間論』を著した。四つの書簡という形式で書かれたこの「哲学詩」は、文学者の自由な創作であり、その点ではかなり折衷的なものであると言える(イギリス式の理神論が交じっている)。ライプニッツの『弁神論』が既にかなり散漫で気楽に書かれたものである上に、こうしたポープのラフな祖述は(しかもポープはイギリス人!)、一面では非常な普及を果たした。ポープは最初これを彼の敵対者にも送って(「無名の新人」が敬意を表して送ったということにして)前評判を作った上で匿名で出版し、さんざん盛り上がったところで自分の名前を明かしたのである。これによって、既に評判は出来上がっているし、反対者たちもひっこみが付かないしで、ポープの思う壷であった。
 しかし、スイス人クールザッツはそうしたポープの詐欺の圏内に居なかったから、これのフランス語訳を読んで大いに怒った。理神論がキリスト教に反するというのだ。これはある意味で当然の反応だったが、「元来ポウプは極めて常識的な人間である。もとより明確な思想的立場などありよう筈はない。『人間論』は彼の頭から出たものではない」(岩波文庫『人間論』あとがき)。ポープは師匠のボーリンブルクに教わったことを詩にしただけなのだ。しかも、ポープにはライバルである「文壇のごろつき」ウオーバートンがいた。クールザッツに続いて彼も批判の手を挙げるに違いない。びびっていたポープだったが、何とウオーバートンはポープを擁護して、クールザッツの方に噛付いたのである。天の救い、地獄に仏と狂喜したポープは、それから師匠ボーリンブルクではなく、敵である筈のウオーバートンに摺り寄ることになる。初めて二人会見した時、出版屋のドッズリは、ポープがウオーバートンにぺこぺこするので驚いたとのことである(この辺りの事情は、上田勤訳岩波文庫『人間論』あとがきによる)。
 しかし、反論は理神論に対するものばかりではなかったし、もっと大物が批判してきた。フランス文壇の親玉ヴォルテールである。1755年、ヴォルテールはリスボンの大震災を詩にし、現実の苦痛を見ない楽観論に痛打を食らわした。更にヴォルテールには、1759年、傑作な小説『カンディード』を書くことになる。あらゆる悲惨、難儀(その中の一つにリスボンの悲劇も取入れられている)に出会うカンディード。「この世はすべて良し」とする哲学者パングロス。恩人が溺れているのを助けようとしたカンディードを「哲学者パングロスはとめて、リスボンの入江はこのアナバプティストが溺死するように特にできているのだ」と「アプリオリに証明」するのだ。一方、マニ教(善に対する悪も一つの原理として認める二元論)を信奉するマルチン、彼はカンディード以上の苦労人である。
 こうした楽天主義と厭世主義に囲まれて旅を続けたカンディードは、パングロスの御説教に対して、最後に言う。「『いかにもおっしゃる通りです』とカンディードは答えた。『何はともあれ、わたしたちは畑をたがやさねばなりません。』」 ライプニッツの楽観論は、著作のタイトル「弁神論」が示すように、神の観点から書かれたものである。言い換えれば、全体の観点からのものなのである。悪や苦しみが存在するとしても、それは部分的なものにすぎない。全体として、この世界は最も完全なのである。これに対する反論は、今見たヴォルテールの場合がそうであるように、個別的な悪、苦難、苦悩を取り上げる。リスボンの地震、それは人間にとって大きな禍である。しかし、それすらも神の超越的な観点からすれば、些細なものにすぎないのである。楽観論とその反対論の対立は、この世が全体として善か悪かという問題ではない。
それは楽観論の立場からの立論にすぎないのだ。むしろこの対立に現れているのは、全体的なものの優位か、個別的なものの優位かという問題なのである(→ライプニッツ対シェリング)。


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