ポパー × クーン

「科学哲学」


 ポパーに反対してクーンが主張しているのは、「通常科学者」が時間を費やしているのは、仮説をできるだけ厳しくテストすることなどではなくて、むしろ「パズル」を解こうとすることだ、ということである。「パズル解き」の手助けとなるのは、科学者が科学的訓練の過程で、「知識」を獲得したり価値観を吸収しながら身に付けていった「模範的解法」である。こうした「模範的解法」は、「科学革命」によって崩壊するが(ここでつまりパラダイムのシフトが起こる訳だが)、革命と革命の間の時期には、「パラダイム」の当否は問題にされない(もっとも科学哲学者の間では別であって、「パラダイム」が厳密に何を意味するかはいつも議論の的であった。一説にはクーンの著作には、「パラダイム」について21の用法があるという)。
 つまりクーンからみれば、科学研究は、観測による理論の確証や反証によるのでなく、まずある理論を認めてしまうことから始まる。そして理論的には反証と見なせる観測結果も、「研究課題」として理論の正しい適用や理論の発展によって解決されるものと見なされるのである。
 しかしポパーも負けてはいない。彼は科学哲学を現実の科学的実践の上に基礎付けることを拒否する。また科学的仮説の受容について、科学者の主観的(間主観的)判断が、最終的な判決を下すのだという合意形成理論についても拒絶する。科学哲学を社会学や歴史学に帰着させることは、必ずや悪き無限後退へ陥ることになるだろうというのが、ポパーの考えである。
 ここでポパーは、古い世代の科学哲学の立場を代表している。旧−科学哲学の目標は、何が科学であり何が科学でないかの境界を設定することである。論理実証主義の「検証」やポパーの「反証」は、その基準であった。彼らの立場からすれば、科学と疑似科学を区別するのに、科学的仮説の選択・受容についての科学=社会学等をもちだせば、不合理な無限後退に陥るのは明らかである。科学の「発見」と科学の「正当化」といった言葉で述べるなら、ポパーらが関わるのは後者の「正当化」についてなのである。逆にいうと、旧−科学哲学は、「あるべき科学」の条件を探求しはしたが、「現実の科学的実践」や「科学の進歩(歴史)」といったものにほとんど考察を向けてこなかったということである。


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