シェリング × ヘーゲル

ドイツ観念論の展開


 ドイツ観念論の展開はカント→フィヒテ→シェリング→ヘーゲルという単線的な系列として説明されることが多い。カントに拠って立てられた観念論的な基礎の上に、カント的な理論理性と実践理性との一元的な体系的統一を、自我の側面から目指したのがフィヒテ(主観的観念論)であり、自然の側からしたのがシェリング(客観的観念論)であり、その両者の同一性によって真の統一を果たしたのがヘーゲル(絶対的観念論)だということになる。しかし、こうした説明はむしろ、哲学史というものがヘーゲルから始まったことによるものである。ヘーゲルが始めた哲学史だから、ヘーゲルが頂点に立つのは当然なのだ。しかし、勿論こうした哲学の発展図式は抽象的なものであって、ドイツ観念論の史的展開の過程はむしろ、「哲学史」そのものの理念の検証の絶好の機会となるはずである。
 例えば、ヘーゲルはシェリングよりも年上である。哲学史が純粋に時間系列として描かれるなら、ヘーゲルの後にシェリングが置かれるべきである。しかし、現実には、シェリングの方が哲学史への登場は早い。シェリングは早熟の天才肌であり、ヘーゲルは大器晩成型であったということになる。しかし、シェリングは早熟ではあったが、夭折しはしなかった。彼はヘーゲルの死後にもしぶとく生き残るのである。ここからシェリングの逆襲が始まる。したがって、シェリング=ヘーゲル関係の展開は、二つの劇的段階を持つことになる。
 1)若いシェリングの登場、それに追従していたヘーゲルの関係が逆転し、ヘーゲルによるシェリング批判が登場する場面。これは主に、ヘーゲルの『精神現象学』登場の時期である。
 2)ヘーゲルの死後、復活したシェリングの、死者に鞭打つ逆襲が始まる段階。これは、ベルリン大学でのシェリングの講義、積極哲学の提出による消極哲学(ヘーゲルやそれ以前の全哲学、およびシェリング自身の若い頃の哲学を含む)への批判による。

 ・シェリング対ヘーゲル(図式)
 第一ラウンド=ヘーゲルの先制攻撃=精神現象学による

 ・シェリング対ヘーゲル
 第二ラウンド=シェリングの逆襲=積極哲学による


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