カント × バークリー

実在性の場所


 バークリーの基本的なアイディアは、実在性の場所を移すことであった。
 ロックが、第一性質、第二性質の区別(バークリー対ロック参照)によって主張したのは、主観的なものと客観的なものとの区別であった。ロックはそれによって客観的なものの領域を囲い込むことができると考えたのだ(これがロックの甘いところであった。因みに第一性質、第二性質の議論はロックに近いところではスピノザ、その前にはホッブズ、遡れば中世にもある)。ところが、バークリーはそんな区別はないと言う。なぜなら、バークリーにとって「実在的」だったのは、客観的なものではなく、主観的なものだったからである。これが「存在とは知覚である」命題の意味である。こうして、バークリーは、「主観的観念論」と呼ばれることになる。この場合、大抵は、上に「極端な」と付くのが世間(哲学史)の常識である。私が居なくなれば世界も消える。
 しかし、こうした整理は、実はバークリーにとって迷惑である。なぜなら、バークリーのテーゼは、逆に読んで、「知覚とは実在的である」という主張だとすることも出来るからである。事実、バークリーの著書から受け取ることができるのは、主観的観念論といった側面よりは、なまめかしい実在の感覚である(触覚というテーマを哲学に持ち込んだという点では、近代においてはバークリーが最も尖鋭的である。バークリーの議論はスパッとしているが、それは官能的であることと矛盾しない。何せバークリーはキリスト教の坊主だったのだ)。我々が、「実在性の場所を移す」と言ったのは、こうした文脈においてである。
 ところで、バークリーを「主観的観念論」と呼んだのはカントあたりによる発想であった。カントは、自分の哲学的立場を「超越論的」と名付けたが、それでもやっぱり観念論じゃないの?と言われるのを避けようと、わざわざ自分でも「観念論の論駁」を行なっている。
 カントの「超越論的観念論」とは、いわば、客観性の基準を、実在性(モノの側)にではなく、(観念領域での)共通性に措くことであった。簡単に言えばこうである。あるモノを触ってみて、「うん、これは確かに石だ、間違いない」と思うのはそのモノの実在性の確認である。しかしそれは、カントの考えでは十分ではない。なぜなら、別の人がそれを触ってみて、「これは絨毯だ」と思うかも知れないからである。それらは「主観的な」確信、信念にすぎないのだ。つまり、カントにとって重要なのは、「これは確かに石である」という確信をすべての人が持つためには何が必要かということであった。みんなが持つ非常識は常識である。カントは、そうした基準を、すべてのモノの性質にではなく、形式に求めた。もはや、モノがどうのこうの(第一性質だ、第二性質だ)と言う必要はない。実在性は問題ではないのだ。重要なのは形式であり、形式が整っていれば必要にして十分である。そして、それが形式である以上、モノの中にある必要はないのであって、それはモノの形式ではなく、我々の認識の形式である。
 こうしてカントは、モノそのもの(ディング・アン・ジッヒ)ではなく、モノと認識との関係(認識の成立条件)を論じることになる。これが「超越論的」な立場である。そしてカントは、客観性の基準となるべき形式の措かれた場所を、「超越論的な主観性」と呼んだ(現代ではこれは「共同主観性」とか「間主観性」と呼ばれる)。つまりは、観念論である。しかし、形式だとか、条件だとかといった手法において、カントは周到に(言い換えれば回りくどく)議論を進めたので、「なるほどこれは主観的な観念論ではない(かもしれない)」と思わせることに成功した。そうしたカントの成功の裏で、恰好の犠牲となったのがバークリーだったと言える。
 したがって、バークリーの基本的な発想が「実在性の場所を移す」ことであったとすれば、カントのそれは「客観性の場所を移す」ことであった。つまり、バークリーとカントは、方向は(一応は)一緒なのだが、指向(手法)が違っていたのである。バークリーは実在性の感覚へ、カントは客観性の条件へ。バークリーはモノへ、カントは形式へ。


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