タレス × プラトン

哲学のはじまり


 元祖哲学者のタレスというのは、いろいろなエピソードを残した人で、例えば、星を観察するのに一生懸命で空ばかり眺めていたら、足元にあった溝に気が付かず、ハマってこけたという話しがある。それを見ていたトラキア出身の女中(森毅によれば若い女性)が、哲学者というのは立派なことを調べようとしているくせに、自分の足元も気付かない、といって笑ったというのである。
 そんな愉快なタレスさんだが、では、その彼から「哲学が始まった」とは何をのことか。普通は、「ミュトスからロゴスへ」といった合言葉が聞かれる。ミュトスとは神話で、ロゴスは(いろいろに訳せるが)簡単にいって、「理屈」である。つまり、「哲学」とは、世界を説明する原理を提出するものだが、そうした世界の説明は、哲学以前には、神話という形で行なわれていた。それを学問的な理屈付けの形で示したものが哲学だというのである。で、実際タレスはどういった「説明」をしたか。天才日下部の言葉を借りるとこうである。
 「万物のアルケー(原理、始源)は水であるとタレスは言った。哲学の誕生を告げる言葉とするにはやや物足りなさを感じさせぬでもない言葉であるが、しかしこの命題によってタレスはミュトスからロゴスへの転換をなしとげたのである。世界のロゴス的説明が哲学であるから、哲学はタレスをもって始まるとアリストテレスの正当に規定し得た所以である。」
 実際「物足りない」ではないか。
 アルケーというのは「原理」とか「始源」とか訳されるのが普通である。例えば、アーキテクチャーとか、アーキタイプ(アルケチプス)とかいった、現代語にも生きている言葉である。英語のアーキテクチャーとは勿論建築のことでだが、ギリシャ語でいうと、「技術(テクネー)の親玉(アルケー)、技術のおおもと」とった意味である。ユングが分析心理学の用語として使ったアーキタイブというのもアルケーとタイプの合成語であるが、日本語で「原型」と訳されるように、アルケーの持つ、「もともとの」といった意味が汲み取れると思う。
 だから、「万物のアルケーは何か」という問いは、「世界はもともと何から出来ているか」、「世界の根源的な構成要素は何か」ということである。これに対してタレスは「水だ」と答えたわけである。
 しかし、一体誰がそんな問題を出したのだろうか。例のトラキア出身の彼女であろうか。答えは勿論、タレス自身である。つまり、「哲学が始まった」のは、タレスがこの問いを提出したということなのだ。だから、それにどう答えたって問題ではない。ロゴスなるものは水にあるのではなくて、この「問い」の方にこそあったのだ。
 実際、僕らが「問題」と向い合う身近な例を考えてみるとよい。学校でテストを受ける僕らは、先生が作った問題を解く。その問題を「解く」方ばかりをやっているのが生徒である。問題をいくら解いても、解いているだけでは先生にはなれない。先生になるためには問題が出せなければならない。
 しかし、本当にそうだろうか。問題を出すということはそんなに偉いことだろうか。実際に問題となるのは、そうした問題を考え出して、自分で答えたというような「形式」ではないのではないか。重要なのは、なぜタレスがこんな問題を出したのかということの方ではないだろうか。
 つまり、問題が問題として提出されるのは、哲学の成立した後なのである。タレスがそうした問題を提示し、それに答えたというのは、哲学が既に成立している私たちの観点からそう見えるというだけのことである。タレスは多分、そうした問題を提出しはしなかったし、何かを説明しようとも思わなかった。彼は哲学するつもりなどなかったのである。気が付けば彼は哲学者だったのである。
 彼は、ある日、突然に気が付いたのだ。そうだ、水だ。あるいは、彼は「それ」に執り着かれたのである。水、水、水。これがすべてだ!
 我々がこれを「物足りない」と思うのは、我々が既に哲学の中にいるからである。彼が水を見出したとき、水ばかりではなく、哲学をも見出していたのである。水、水、水。この圧倒的な現前。
 勿論、彼は水そのものを見出したのでない。彼は何かを見出したのだが、それは彼にとって、ただ「水」としか言い様がなかった「あるもの」なのである。
 彼はそれを「水」と名付けた。私たちはもう「水、水」と叫ぶことはできない。しかし、私たちもまた別の「水」を発見することが出来る。それが哲学なのである。哲学は学術用語や抽象的な概念に閉じ込められるようなものではない。そうした哲学はすぐに死ぬ。しかし、タレスが「水」に見出したような「哲学」は今でも我々のものなのである。それはむしろ、哲学というもの(名詞)ではなく、「哲学する」ということ(動詞)である。
 だとすれば、一般哲学史が描く発展図式は一考を要することになるだろう。その図式によれば、タレスさんは「プレソクラテス派」の群小哲学者の一人になっている。というのは、タレスさんを始め、ソクラテス=プラトン以前の人達は、単に自然の研究を行なったにすぎないのに対して、ソクラテス=プラトンによって初めて、「人間」が哲学の対象に組入れられた、ということになっているからである。しかし、上に述べたように、タレスさん(たち)は自然だけを研究したのではない。彼らが求めたのは、万物のアルケーであり、世界の原理だった。そうした原理の表現がたまたま自然的なものであったにすぎない。逆に言えば、そうした「自然」は、「人間」の発見の後から総括されたものにすぎないのだ。つまり、タレスさんが「水」と言ったとき、それは人間を含むような自然、世界の全体について述べていたのだ。だから、ソクラテス=プラトンが「人間」と言うとき、それは「自然」や世界から既に切り離された存在なのである。
 だから、勿論プラトンらが「人間」を発見したこと自体は画期的であったと言ってよいけれども、それによってタレスさんたちの立場が絶対的に低下するというような見方は公平なものとは言えない。乱暴に言えば、むしろそうした自然と人間との分離から「哲学の没落」が始まったのである(これも公平な見方ではないが、ハイデガー的哲学史観である)。
 我々は平気で「自然と人間」とか「自然と文化」などと言うが、タレスさんたちが探究したのは、そうした意味の「自然」ではない。そうした意味の「自然」は、プラトンらによる「人間」の発見によって初めて出来たもの(にすぎない)のである。我々はその意味で、プラトニストなのだ。


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